性風俗の歴史

昭和時代に人気があった成人映画「日活ロマンポルノ」の歴史

昭和時代(1926~1989年)には映画がたくさん製作されましたが、その中で人気ジャンルのひとつとなっていたのが「成人映画」です。成人映画は「男女の性的な描写を含む映画」を指します。男性は成人映画を観ることで性欲を満たしていました。

成人映画の中でも代表的だったのが「日活ロマンポルノ」です。日活ロマンポルノは1971年から1988年にかけて「日活」という映画製作会社によって作られた成人映画のシリーズで、男性に大人気となりました。

ここでは、日活ロマンポルノの歴史を紹介します。

日活ロマンポルノの誕生

日本では昭和時代、風俗店で売春が行われていました。そのため男性客は、風俗店で女性とセックスをすることができました。

しかし1958年(昭和33年)になると、「売春防止法」という法律が施行されました。この法律によって、風俗店での売春は禁止となりました。そしてその後の風俗店では、フェラチオや手コキなどの「性的サービス」が主流になりました。

こうした流れで製作されるようになったのが「成人映画」でした。成人映画は「ピンク映画」や「ポルノ映画」と呼ばれることもありました。

男性は風俗店でセックスを行いにくくなったため、性欲を満たすために成人映画を利用するようになりました。そして、成人映画の産業は大きく成長したのです。

一方で1950年代後半、映画製作会社であった「日活」は数多くのヒット映画を生み出していました。しかし1960代に入ると日活はヒット作品を生み出すことができず、経営難におちいりました。

成人映画としての日活ロマンポルノ

日活は経営の活路を見出すため、人気が出始めていた成人映画に注目しました。成人映画は低予算で製作することができて利益率が高かったため、経営が苦しい日活でも作ることができたのです。こうして1971年に誕生したのが「日活ロマンポルノ」でした。

日活ロマンポルノの製作費は、日活がそれまで製作していた映画の半額でした。さらに製作期間も、それまでの作品の半分ほどに抑えることができました。

日活ロマンポルノの撮影は日活所有のスタジオで行われ、俳優や監督は日活専属のスタッフが起用されました。こうしたことは費用削減につながるとともに、映像の質にも貢献しました。

日活ロマンポルノはもともと一般の映画製作を行っていた人たちによる成人映画であったため、ほかの製作会社の作品とは一線を画す質の高さを誇っていました。

日活ロマンポルノは大人気となった

経営の方針を切り替えてポルノ映画を製作するようになった日活は、再度ヒット作品を出すようになりました。日活ロマンポルノはたくさんの男性に支持されるようになったのです。

日活ロマンポルノの初期の代表的な作品としては、「団地妻 昼下りの情事」や「色暦大奥秘話」などがあります。

また、日活ロマンポルノに出演する女性も人気となりました。SMの女王と呼ばれた「谷ナオミ」や、引き締まった体型に巨乳というスタイルで人気となった「泉じゅん」など、日活ロマンポルノは数多くのスターを輩出しました。

成人映画から芸能界で活躍する人を排出

さらに、日活ロマンポルノで人気となった女性が、芸能界で活躍する機会も増えました。「日活ロマンポルノは芸能界への登竜門」と考える女性が増えるようになったのです。

日活ロマンポルノの上映は3本の作品を順番に観ることができる「3本立て」で行われました。3本の作品を1セットとして、セット1つあたりの上映期間は2週間が基本でした。

さらに日活では、映画館の新設も積極的に行うようになりました。日活は「一般的な映画館で成人映画を上映するのは風紀上の面で問題がある」と考えて、「ミニ劇場」という映画館を日本の各地に設置しました。ミニ劇場では日活ロマンポルノの作品を中心に、成人映画の上映が行われました。

また、日活ロマンポルノは映画業界にも貢献しました。

映画製作会社にとって、若い映画クリエイターに実際に作品を製作させて、その作品を映画館で上映させることは「人材育成のために必要なこと」でした。日活ロマンポルノの製作は「若手の映画クリエイターの育成手段」として利用されるようになったのです。

当時は成人映画に関する法律的な規制が緩く、日活ロマンポルノは映画クリエイターが自分のセンスを存分に活かして製作することができました。現在活躍している映画監督の中には、和泉聖治や金子修介など、日活ロマンポルノ作品の製作からキャリアをスタートした人がたくさんいます。

こうして1970年代、日活ロマンポルノは男性から大人気となりました。

アダルトビデオの人気に押され、日活ロマンポルノの人気は低下

1980年代に入ると、日活ロマンポルノの人気にかげりが見えてきました。

このきっかけとなったのが「一般家庭へのビデオデッキの普及」です。街中でレンタルビデオ店がたくさん営業されるようになり、男性は自宅でアダルトビデオ(AV)を見ることができるようになったのです。

日活ロマンポルノは映画を観にきている他の男性が周りにいるため、上映中に興奮しても自慰行為(オナニー)をすることができません。しかしアダルトビデオの場合、男性は自宅で一人で見ることができるため、自由にオナニーをすることができました。

こうしてアダルトビデオは人気となり、日活ロマンポルノは徐々に衰退するようになりました。

当時、日活は「にっかつ」と社名変更していました。にっかつは1988年、「日活ロマンポルノの製作を終了する」と発表しました。高い人気を誇った日活ロマンポルノの歴史は、ここで途切れたのです。

にっかつは日活ロマンポルノの製作は中止したものの、それまでに得たノウハウを生かしてアダルトビデオ製作に移行しました。そしてにっかつは「アダルトビデオ製作会社」として経営を続けるようになりました。

このように日活ロマンポルノは、1970年代に始まり、1980年代後半にその歴史の幕を閉じました。日活ロマンポルノは現在普及しているアダルトビデオやインターネットでのAV動画の前身(ぜんしん:前の形態)ともいえるものだったのです。

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