性風俗の歴史

アダルトグッズとそれを販売する「アダルトショップ」の歴史

現代にはさまざまなアダルトグッズがありますが、江戸時代(1603~1867年)にもこうした道具が存在しました。江戸時代は性行為がさかんに行われており、グッズや薬も広く活用されました。ただ、アダルトグッズの多くは現代のような高性能な作りではありませんでした。

江戸時代に使われていたアダルトグッズを知ることによって、当時の風俗文化を感じることができます。そこからさらに発展し、現在ではアダルトグッズを販売するアダルトショップが数多く存在します。

ここでは、江戸時代から昭和時代にかけてどのようなアダルトグッズや薬(精力剤)が存在し、アダルトショップができあがっていったのかを紹介します。

江戸時代のアダルトグッズ

かつて江戸時代で活用されていたアダルトグッズとしては、以下のようなものがあります。

江戸時代のコンドーム「茎袋(きょうたい)」

現代でいうコンドームにあたるものが「茎袋(きょうたい)」と呼ばれるものです。男性器を根元から先端まで覆うことができる袋です。男性はコンドームと同じように茎袋を装着し、性行為を行いました。

現代のコンドームはゴムでできていますが、茎袋は動物の皮でできていました。また、作られたのは日本ではなくオランダで、舶来品(はくらいひん:輸入品のこと)でした。当時、舶来品は非常に高価で、茎袋も一般の男性が購入するには難しい価格でした。

さらに、茎袋は使い心地も良くありませんでした。江戸時代の男性はいわゆる「生」の状態で挿入するのが一般的となっていました。

さらに、性行為がさかんに行われていたため、「プレイのたびに茎袋を身につけるのは手間がかかる」とも考えられていました。そのため、茎袋はあまり普及しませんでした。

江戸時代のディルド、「張形(はりがた)」

現代で人気のアダルトグッズに「ディルド」があります。電動で動かないバイブレーターのことを指し、主に男性器の形をしているものが一般的です。女性が自慰行為(オナニー)のために用いたり、男女のプレイをより盛り上げたりするために用います。

江戸時代にもディルドにあたるものがあり、「張形(はりがた)」と呼ばれました。男性器の形をしており、女性器に挿入して使います。

張形は精力が衰えた男性が、「女性と性行為をする際の補助道具」として使いました。また、現代と同じように女性が自慰行為のために使うこともありました。

江戸時代の将軍の屋敷には、大奥(おおおく)と呼ばれる「将軍と性行為をする女性が生活する場所」がありました。大奥の女性は積極的に張形を活用していました。

男性器の先端にかぶせて使う避妊道具「甲形(かぶとがた)」

茎袋のように避妊目的で使用されたアダルトグッズとして、「甲形(かぶとがた)」というものもありました。水牛の角やウミガメの甲羅を素材として使っており、兜(かぶと)のような形をしていたことから上記の名称がつきました。

甲形を装着すると男性器の先端が隠されるため、射精をしても精液が膣に入り込まない仕組みになっています。また、甲形を装着した男性器の先端は大きく見えるようになります。そのため、避妊目的以外にも、男性が女性をより喜ばせるために使うことがありました。

ただし、甲形には「外れやすい」という欠点がありました。男性器は弾力があるため、装着しても女性とセックスをしている最中に外れてしまうことがあったのです。そのため避妊効果を得られない上に、甲形が外れて女性器の中に入り込んでしまうことがありました。

江戸時代のアダルトショップ「四ツ目屋(よつめや)」

上記のような江戸時代のアダルトグッズは「四ツ目屋(よつめや)」という店で販売されていました。四ツ目屋は「日本最古のアダルトショップ」といわれています。かつての江戸の両国にありました。

四ツ目屋は、もともと薬屋として営業していました。そのため、上記のグッズのほかに媚薬(びやく:性欲の増進効果がある薬、相手に恋心を起こさせる薬)も販売されていました。媚薬の例としてイモリの黒焼きがあります。「惚れ薬として効果がある」とされていましたが、実際の効果は信憑性のないものでした。

江戸時代、セックス中に使われていた薬

このように、江戸時代にはさまざまなアダルトグッズがありました。江戸時代であっても人の性欲は強く、上記のようなグッズが生み出されたのです。

盛んに性行為が行われる中で、江戸時代では薬が使われることもありました。現代でも精力剤のバイアグラなどは有名ですが、これと似た薬が江戸時代にも存在していたのです。

江戸時代に大人気だった精力剤「長命丸(ちょうめいがん)」

現代でも精力剤を使う男性はたくさんいますが、江戸時代にも使う人がいました。精力剤の中でも多くの男性に人気だったのが「長命丸(ちょうめいがん)」という商品です。精力剤としてだけでなく、疲労回復にも効果があるとされていました。

江戸時代にアダルトグッズを扱っていた商店に前述の四ツ目屋があります。長命丸は四ツ目屋の大人気商品でした。

長命丸には説明書が付いていました。それによると、「長命丸は唾液で溶いて使う。男性器にまんべんなく塗ると、ひりひりとした刺激が生じる。このあと、お湯かお茶、もしくは小便で洗い落としてセックスをすると良い」と書かれています。

小便で洗い流すことが書かれていたのは、「江戸時代は野外でセックスをする男女が多かったため」です。農民は農作業の最中に、草陰に隠れてセックスをすることがありました。そのため小便の使用は、周りにお湯やお茶がない場合の対処法として書かれていました。

長命丸にはさらに、「おしとやかな女性や遊女(ゆうじょ:現代でいう風俗嬢)でも感じずにはいられない」と書かれており、その効果は非常に高かったことがうかがわれます。

女性が使った興奮剤「女悦丸(にょえつがん)」

長命丸は男性が使用する薬でしたが、女性が使う「女悦丸(にょえつがん)」という薬もありました。女悦丸は女性の膣に入れて使います。

女悦丸は中国の漢方を調合して作られた薬で、山椒(さんしょう)に似た成分が使われていました。そのため、膣に入れると刺激とかゆみが生じました。この状態で男性が性器を女性器に挿入すると、女性は普段よりも大きな快感を得ることができました。

江戸時代に詠まれた川柳に「泣かずんば 泣かせて見せう 女悦丸」という句があります。「女悦丸を使うと、普段はセックスで声を上げない女性が声を出すようになる」ことを意味しており、女悦丸の効果の高さが分かります。

また、江戸時代に発刊された「祝言色女男思(しゅうげんいろなおし)」という書籍には、男女が女悦丸のような薬を使うシーンが描かれています。登場する女性は薬を使うことで愛液が溢れ出し、セックスで絶頂に達してしまいます。

オットセイの陰茎を加工した精力剤「たけり丸(たけりがん)」

男性向けの精力剤は長命丸のほかに、「たけり丸(たけりがん)」も人気でした。たけり丸は動物のオットセイの陰茎(いんけい:男性器のこと)を加工して作られた薬です。

たけり丸の作り方は、オットセイを乾燥させ、陰茎を粉末状にします。その後、練ることで丸薬(小さく丸い形状の薬)として加工すると、たけり丸ができ上がります。

オットセイの陰茎が使われたのは、「一夫多妻制の動物」として有名だったためです。1匹の雄のオットセイは20~30匹の雌のオットセイと交尾します。このことから江戸時代の人々は「オットセイの精力を薬にしよう」と考えたのです。

ただし、雄のオットセイがたくさんの雌と交尾していたからといって、陰茎を加工して人が飲むと精力が高まるかどうかは別の話でした。そのため、たけり丸の効果は信憑性のないものでした。

しかし、江戸時代の初代将軍であった徳川家康(とくがわいえやす)はオットセイに注目し、部下にオットセイを献上(けんじょう:貢ぎ物として差し出す)するように命じました。これが江戸の各地の男性にも評判となり、たけり丸は人気となりました。

このように江戸時代にも現代と同じように、精力剤にあたるものがありました。江戸時代の男女も、精力剤を活用してセックスに励んでいたのです。

アダルトショップの歴史

これらアダルトグッズや薬(精力剤)は、現在では「アダルトショップ」という専門店で販売されています。それでは、アダルトショップはどのような歴史をたどっていったのでしょうか。

次に、昭和時代(1926~1989年)以降のアダルトショップの歴史について紹介します。

昭和時代の「アダルトショップ」

アダルトグッズを販売している店は「アダルトショップ」のほかに「大人のおもちゃ屋」と呼ばれることがあります。

1958年(昭和33年)に風俗店での売春行為を禁止する「売春防止法」という法律が施行されました。「大人のおもちゃ屋」という呼び名が登場したのは、売春防止法と同時期にあたります。

売春防止法が施行されたことで、風俗店がセックスをサービスとして提供することは違法となりました。そのため新しい流れとして、男性がローションやバイブレーターなどのアダルトグッズを使って女性とのプレイを行ったり、自慰行為(オナニー)を楽しんだりすることが多くなりました。

こうしたことから、大人のおもちゃ屋でアダルトグッズが積極的に販売されるようになりました。アダルトショップは時代の流れから登場した店でした。

昭和時代に存在した大人のおもちゃ屋の様子

大人のおもちゃ屋は各地の主要な駅の裏通りや歓楽街で営業されていました。そして、バイブレーターやディルド(男性器の形をしており、女性器に入れて刺激を得るアダルトグッズ)、ローション、ポルノ雑誌など、さまざまなアダルトグッズを販売していました。

大人のおもちゃ屋の店内は薄暗くなっていました。これは「来店している男性客どうしがお互いに顔を合わせて、気まずい思いをしないため」でした。また、店の外から店内をのぞけないようになっており、来店する男性客のプライバシーを守っていました。

当時、バイブレーターや電気マッサージャー、媚薬(びやく:性欲を高める効果がある薬)などのアダルトグッズは「医療機器」に該当する商品でした。

医療機器の販売をするには本来、厚生大臣の許可が必要でした。しかし大人のおもちゃ屋の店主はこの許可を取っておらず、違法に販売を行っていました。

店主は警察による摘発を警戒しながら営業していたため、大人のおもちゃ屋には常に緊張感がただよっていました。

アダルトショップのこうした雰囲気は、入店する男性客に抵抗感を感じさせました。歓楽街には気軽に入ることができる風俗店や飲食店が建ち並んでいました。しかしアダルトショップには「店に入りにくい空気」がただよっていたのです。

店内に並ぶアダルトグッズには価格が表記されていなかった

大人のおもちゃ屋に並んでいたアダルトグッズは、価格の表記がありませんでした。また、使用方法が書かれた説明書などもありませんでした。

しかし、購入を検討している男性客が商品価格や商品の使用方法について店員に聞こうとしても、質問できないことがよくありました。前述の緊張感ただよう店の雰囲気が、スタッフに聞きづらい空気をかもし出していたのです。

男性客によっては大人のおもちゃ屋に対して、その雰囲気から「一度入店すると、値段を聞いていない状態であっても何かを購入しないといけないので」と感じることさえありました。

しかし時代が進むにつれて、アダルトグッズは種類が豊富になりました。アダルトビデオ・SMグッズ・女性が着用した下着など、幅広い男性客のニーズに応える商品が登場しました。そして、これらの多くは医療機器に属さない商品でした。そのため店にとって販売しやすい商品でした。

アダルトグッズの種類が増えたことで、多くの人にとってアダルトグッズは身近なものとなりました。そして、昭和の後半にはアダルトショップの入りにくいイメージは徐々に薄らいでいきました。

現在のアダルトショップは入店時に「周りの人の目が気になる」という面はあるものの、かつてのように入店したて後に抵抗感を覚えるようなことはなくなっています。

女性専門のアダルトグッズショップの登場

時代の経過とともにアダルトグッズは男性だけでなく、女性にも受け入れられるものになりました。その中で登場したのが「女性専門のアダルトショップ」です。1993年(平成5年)、渋谷のセンター街に「キュリウス」という店が開業しました。

それまでアダルトグッズは、「男性が使うもの」として認知されていました。しかしキュリウスでは「女性がアダルトグッズを購入して使う」というコンセプトを打ち出し、女性向けにさまざまなアダルトグッズの販売を開始しました。

キュリウスのスタッフは女性で構成されており、女性客のプライバシーに配慮しています。また、男性客の入店は禁止となっています。

渋谷のセンター街に店を構えたのも、「女性が安心して店を利用できるように」という理由からでした。

キュリウスの開業は世の中に大きなインパクトを与え、1990年代はテレビでも紹介され積極的に取り上げられました。キュリウスは現在でも営業されており、グッズ販売のほかにアダルトグッズの使用についてのアドバイスを行ったり、通販を展開したりしています。

このようにアダルトショップは「大人のおもちゃ屋」と呼ばれるようになった時代から、徐々に身近な存在に変化してきました。そして今では、男女とも気軽にアダルトグッズを購入できる店となっているのです。

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