江戸時代(1603~1867年)に軍隊の統制と政治を担ったのが「将軍」です。当たり前ですが、将軍も女性とセックスをすることがありました。しかし将軍はその立場上、セックスをするためにさまざまなルールがありました。
ここでは江戸時代に「将軍がどのようにセックスをしていたのか」について紹介します。
江戸時代の将軍は、自由にセックスをすることはできなかった
将軍と聞くと「たくさんの女性が仕えていて、将軍は自由にセックスをすることができる」というイメージを持つかもしれません。しかし実際には、将軍はセックスを自由にできるわけではありませんでした。
将軍にとって、女性との性行為は「跡継ぎとなる子供をつくるため」でした。つまり、周囲の人たちから「将軍はセックスも仕事の一環」と考えられていたのです。
そのため将軍のセックスは、前もって準備をした上で行われました。
将軍がいた江戸城には大奥(おおおく)と呼ばれる「女中(じょちゅう:将軍に仕える女性)が集まる部屋」がありました。将軍は昼間のうちに性行為の相手となる女中を決めておき、現代でいう22時ごろに、昼間に指名した女性と性交為を行いました。
当時の一般庶民は昼間からセックスをすることがありました。農民は昼間でも草陰に隠れて情事に励んでいました。こうした庶民と比べると、将軍の性生活は非常に不自由だったのです。
将軍から指名された女性が行った準備
将軍から「夜に寝室にきてほしい」と指名された女中の準備は、流れが決まっていました。
将軍は女中に指名することを直接伝えるのではなく、側近(そっきん:将軍の側で仕える人)に指名したい女性を伝えました。側近はこれを大奥にいる御坊主(おぼうず)という連絡係の女性に伝えました。そして御坊主は女性に「将軍から指名が入ったこと」を伝えました。
こうして性交の指名を受けた女性は、まずは風呂に入りました。女性は体の汚れを洗い落とすために風呂へ入りましたが、「将軍とのセックスの前に体を清めるため」の意味もありました。女中にとって、将軍と夜を共にできることは非常に名誉なことだったのです。
風呂に入り終えると女性は化粧をしました。さらに髪を整えて、将軍がくる2時間前には寝室に入りました。
また、このときには御坊主と御年寄(おとしより:大奥を統轄する人)という老女も一緒に寝室に入りました。御年寄は寝室に入る女中の髪をほどき、凶器が仕込まれていないかを確認しました。
将軍と女性がセックスを行うまで
将軍が寝室に入ると、まずは「将軍と女性との雑談」が行われました。雑談は御坊主と御年寄も含めて4人で行われました。また、雑談中にはお茶が用意されました。寝室で最初に雑談が行われることは、ルールとして決まっていました。
また、雑談の中では将軍に対してお酒は用意されませんでした。前述のように将軍にとって女性とのセックスは「子孫を残すための職務」でした。将軍は酔った状態で仕事をすることは許されなかったのです。
こうして雑談を終えると、将軍と女性はいよいよ性行為をすることになりました。ただ、2人きりになることはできず、「お添寝(おそいね)」という2人の女性が将軍と女性の側で添い寝をしました。お添寝は「将軍と女性の行動を監視する役割」を担っていました。
将軍と女性が2人きりになってしまうと、女性が将軍に「お金がほしい」などの無理なお願いをする可能性がありました。
また、逆に将軍が不用意に女性の要望を聞き入れてしまう可能性もありました。そのため、お添寝による監視が必要だったのです。
お添寝は2人のセックスの邪魔にならないよう、将軍に背中を向けて静かに横になっていました。そして翌朝になると、お添寝は御年寄にどのような状況だったかを報告しました。また、将軍の相手をした女性も御年寄に報告を行いました。
このように、江戸時代の将軍はルールの中でセックスをしていました。江戸時代は性生活の面では一般庶民のほうが自由であり、楽しんでいたといえます。