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現代ではさまざまなセックステクニックがあります。同様に、江戸時代(1603~1867年)のころにも、性行為のテクニックはたくさんありました。ただ、江戸時代は現代よりも性に寛容な雰囲気がありました。そうした状況の中で、プレイのテクニックも数多く生み出されたのです。

ここでは江戸時代のセックステクニックについて紹介します。

江戸時代の男女はセックス前の前戯(ぜんぎ)を大切にした

江戸時代の男性や女性は、セックスの前段階である前戯(ぜんぎ)を大切にしていました。男性は前戯で少しずつ女性の性欲を高め、その後セックスに入るようにしていました。

前戯では男性は現代と同じように、抱き合ったり女性の体のさまざまな部分を愛撫(あいぶ:愛情を込めてなでること)したりしました。また、キスもしていました。

さらに、女性をくすぐったり、肌に吸い付いたりすることもありました。現代のAV(アダルトビデオ)で行われているようなプレイが、江戸時代のころから行われていたのです。

また、男性は女性の下半身を責めることも多くありました。乳首よりも女性器を中心に刺激を与えて、女性を興奮させていたのです。そのため性器を舐める「舐戯(ていぎ)」という行為が積極的に行われました。

江戸時代のセックスの体位は種類が豊富だった

江戸時代にはセックスの体位が豊富にありました。考案された体位は全部で48種類あり、「四十八手(しじゅうはって)」としてまとめられています。

江戸時代は建物が木造で、性行為の声や物音が聞こえることがよくありました。こうした状況から、性行為の音が聞こえるたびに男女とも性欲が涌き起こり、積極的にセックスに励んでいました。たくさんのセックスが行われる中で、セックスのテクニックも磨かれたのです。

四十八手のテクニックには、それぞれ名称がつけられていました。

「立ち松葉(たちまつば)」という技術では、男性が女性の両足を開くようにして持って立ちます。そして男性は、女性の股を交差するようにまたいで男性器を挿入し、セックスを行いました。アクロバティックな体勢での性行為になるため、男女共に体力を消耗するセックスの方法でした。

「絞り芙蓉(しぼりふよう)」という技術では、男性が両足を揃えて座り、その上に女性が男性と同じ方向を向いて座ります。男性はこの状態で男性器を女性器に挿入します。乳房を揉みながらセックスできるのがメリットの体位です。

江戸時代にもフェラチオ・パイズリがあった

現代で行われることが多いセックステクニックに、フェラチオやパイズリがあります。フェラチオは「女性が男性器を舐めて刺激すること」を指します。パイズリは「女性が乳房に男性器を挟み込み、乳房を手で上下に動かして男性器を刺激すること」を指します。

江戸時代にも、フェラチオやパイズリが存在していました。

かつてのフェラチオは、「尺八(しゃくはち)」と呼ばれていました。この名称は女性が男性器に吸い付く様子が、「尺八(笛のような楽器)を吹く様子に似ていること」に由来しています。

江戸時代のフェラチオでは、周囲の人からセックス初心者の女性のために「フェラチオのときに歯を男性器に当てないように」という注意がされていました。また、上級者に対しては「男性の睾丸をもみほぐし、睾丸と太ももの付け根の部分を刺激するべき」と指南されていました。

このように、江戸時代から高度なフェラチオのテクニックが生み出されていたことが分かります。

また、パイズリは「紅葉合わせ(もみじあわせ)」と呼ばれました。紅葉合わせは一般の女性が行うことは少なく、江戸時代の風俗店で働く遊女(ゆうじょ:風俗嬢)の技術でした。

現代のパイズリは女性が乳房を上下させることが多いです。これに対して江戸時代に行われていた紅葉合わせでは、女性は乳房を上下するとともに腰も使っていました

アナルセックスは江戸時代でも行われていた

このように江戸時代には、さまざまなセックステクニックが存在していました。江戸時代の人々も、より気持ちよい刺激や興奮を得るために、こうした技術を編み出していたのです。

さらに、アナルセックスも存在していました。通常のセックスでは男性が女性器の穴に男性器を挿入します。これに対してお尻の穴に挿入して性行為をすることを「アナルセックス」と呼びます。

江戸時代のアナルセックスは現代よりも普通なことだった

江戸時代の男性の性癖は人によってさまざまで、中にはアナルセックスを好む人がいました。

現代でアナルセックスというと、「男性とのプレイ」をイメージする人は多いです。ただ、江戸時代のアナルセックスは、男性とも女性とも行われることがありました。江戸時代のアナルセックスは「けつ取り」と呼ばれました。

現代ではアナルセックスを好む人は、いわゆる「アブノーマル(普通ではない)」と考えられやすいです。しかし江戸時代には、アナルセックスを「普通なこと」と考える人がたくさんいました。これは、江戸時代以前の歴史が関係しています。

江戸時代の前の時代には安土桃山時代(1573~1602年)、さらにその前には戦国時代(1493~1590頃)がありました。このころは争いが多く、男性は女性とセックスをする機会があまりありませんでした。そのため、代わりとして男性と性行為をする人がいたのです。

江戸時代にもこの名残りがあり、「男性の性行為には2つの道がある」とされていました。すなわち、「女性とのプレイ」と「同性である男性とのプレイ」です。

陰間(かげま)という同性愛を好む男性とアナルセックスをした

江戸時代の男性が同性とアナルセックスをする場合、「陰間(かげま)」と呼ばれる同性愛を好む男性と行いました。陰間は陰間茶屋(かげまぢゃや)という風俗店に在籍していました。

男性は陰間茶屋に行くのではなく、陰間茶屋のサービスを利用できる料理店に向かいます。そして料理店で陰間茶屋から陰間を呼び、アナルセックスを楽しみました。

陰間がアナルセックスを行うときには、「ねりぎ」と呼ばれる現代のローションにあたるものを肛門に塗り付けてプレイをしました。ねりぎはトロロアオイという植物の根っこを使って作られました。

男性は遊女(ゆうじょ)ともアナルセックスを行っていた

女性との性行為でも、男性はアナルセックスをすることがありました。なぜ通常のセックスではなくアナルセックスを好むかは人それぞれでしたが、「締まりが良く、刺激的なセックスができるため」という理由を挙げる男性が多くいました。

江戸時代に詠まれた川柳に、「表門より 裏門は しまりよし」という句があります。これは「女性器よりも肛門への挿入のほうが締まりが良くて気持ちよい」ことを歌ったものです。

ただ、一般の女性がアナルセックスをすることはあまりありませんでした。アナルセックスを行うことがあったのは、現代でいう風俗嬢である遊女(ゆうじょ)です。

遊女はサービス業であったことから、お客様の要望に応える必要がありました。そのため男性の希望によっては、アナルセックスを受け入れていました。

陰間はアナルセックスに慣れていたため、ローション代わりのねりぎを使っていました。しかし遊女はねりぎを使う習慣はなく、プレイのときにはお尻の穴を傷つけないように気をつけていました。

アナルセックスをするときの注意として、遊女は「プレイの際の姿勢」を通常の場合と変えていました。

アナルセックスを行いやすいのは、尻を男性器の前に突き出す「バック」の姿勢です。しかしバックだと男性が強引なセックスをする可能性があったため、遊女は「仰向けの状態」や「横になった状態」でアナルセックスをしていました

アナルセックスの場合、締まりの良さからくる気持ち良さで、男性は短時間で射精をすることがよくありました。

このように、江戸時代でもアナルセックスは行われていました。現代ではアブノーマルと考えられがちですが、江戸時代では比較的普通なことだったのです。

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