性風俗の歴史

宗教観から学ぶ、欧米と日本の性に対する認識

セックスワークという言葉をご存知でしょうか。この言葉は英国において、セックスを生業とする労働を総称するものです。また、セックスワークに従事している労働者を指して、セックスワーカーといいます。

性労働という直訳からもわかる通り、欧米ではセックスワークをネガティブな印象で語ることが多いです。その考え方から、「セックスワーカー=貧困」という等式も簡単に成り立ちます。確かに、欧米のセックスワーカーは貧困層が多くを占め、低水準で恵まれない生活をしているケースが大半です。そのため、大きな社会問題として物議を醸しています。

一方で、日本の性産業はどうでしょうか。風俗嬢だからといって、低水準な生活をしているとは限りません。むしろ、サラリーマンの手取りよりも多く稼いでいる方だって珍しくはありません。

このように、欧米と日本では、性産業に対する価値観が全く違います。この違いは、各々の歴史の中で培われてきたものでした。性産業への認識は宗教によっても異なりますが、ここでは欧米と日本の性風俗に対する認識から、宗教と売春とを結び付けるときの考え方に関してまで解説していきます。

欧米諸国の性産業

ヨーロッパ文明が花開いたギリシアの時代には、人々はまだ性に開放的だったといいます。ただし、近東よりキリスト教が普及するに従い、「性に関してつつしむべきだ」という文化が根付いていくようになりました。これがヨーロッパで「性=タブー」の文化が生まれた理由です。

歴史が流れても、欧米の根本を支配する思想はキリスト教です。そのため、いまだに性に関して開放的になることを悪とみなす風潮が強いです。

では、ヨーロッパの歴史の中で、性に関するこのような価値観が確立したにもかかわらず、セックスワーカーとなる人がいなくならなかったのはなぜでしょうか。その答えは、そうでもしなければ彼女たちは生きていけなかったからです。

欧米諸国において、セックスワーカーになるということは、本当にそれ以外にすることができないことを意味します。つまり、社会の中でも最下層に位置しているということです。セックスワーカーの多くは、親もなく、生活もなく、まともな環境で生きていくことができません。

日本の性産業

その一方で、日本は古代より、性に対して大変寛容な気質を持っていました。それでいてかつ歴史が深く、日本神話の中にはストリップをした巫女の話も登場するほどです。

そうした文化は、江戸時代に入っても根強く生き残りました。むしろ「花魁(おいらん)」などの誕生で社会的地位が確固たるものになったともいえます。当時の花魁は、人々の憧れですらあったのです。

もちろん、日本は明治に入り、前近代的文化を捨て、欧米諸国にならっていくようになったことは知られている事実です。その時に、キリスト教的な性に関する価値観も日本人は獲得しました。ただ、根本に流れる性への寛容さまでもが変革することはありませんでした。

日本は性に対して寛容である

その寛容さは、現代にも残っています。たとえば、性風俗へ対する認識はどうでしょうか。確かに、風俗の話は公然で話すべき話題ではありませんが、男同士なら大いに盛り上がる話題です。また、性風俗で働いている女性を見て、その境遇に同情して嘆き悲しむ日本人も少数派です。

この寛容な価値観は、性風俗に従事する女性自体にも影響を及ぼしています。日本の嬢は、欧米のセックスワーカーとは異なり、特殊な事情を除いては孤児であるケースは稀です。

その上、セックスでしか稼げないという方も少なく、昼間はOLとして働いたり、学生として勉学に励んだりする嬢も数多く存在します。つまり、欧米のセックスワーカーとは異なり、彼女たちにとって性風俗とは、選べるライフスタイルのうちのひとつでしかないのです。

欧米と日本との性に対する価値観を比較してみると、いかに文化的隔たりがあるのかを改めて実感することができます。確かに、売春などに関する問題は日本でも発生しています。ただ、日本では欧米でとられる対策とは全く異なる手段を講じるべきなのでしょう。

宗教と売春とを結び付ける考え方

文化が違えば、性に対する認識も異なります。これには、宗教も関わっています。

例えば古代においては、神聖視された売春というものが確かに存在しました。有名なところとして、古代メソポタミア(現在の中近東)地域でのバビロニアの宗教(ミュリッタの神殿における信仰)や、インドのヒンズー教売春寺院などが挙げられます。

しかし、その中でも最も私たちになじみ深いのが神道です。神道も売春と神事とを結びつけて信仰した宗教なのです。こうした神道の売春許容の精神は、明治以降「国家神道」となるにつれてなりをひそめましたが、依然として各地で信仰されている精神性です。

多神教と一神教

世の中の宗教は、唯一の神を信仰する「一神教」と、複数の神を信仰する「多神教」とに大別することが可能です。

一神教の有名どころは、キリスト教やイスラム教です。一方で、多神教の代表としては、古代ギリシア神話や神道、ヒンズー教などが挙げられます。また、考え方によって、仏教は一神教にも多神教にも捉えることが可能だといいます。

性と宗教とが関連していると考えられる宗教は、多神教であるケースがほとんどです。一神教は厳しい戒律が敷かれていることが多く、その中には「姦淫(かんいん:みだらなこと)してはならない」という教えがあるパターンが大半なのです。

一方で、売春を許容する傾向にある多神教は、神は複数存在し、それぞれ担当すべき分野があるという考え方で成り立っています。そのため、性に関する神も存在するケースが多いのです。

また、セックスは直接的に「子孫繁栄」につながります。日本ではそうした考え方も受け入れられ、神道と性は密接に結びつくようになったのだといわれています。

神道とセックス

神道では神社が主な信仰の場所となります。ただ、売春を神聖視した神道の考え方もあり、境内の中には多くの売春宿が立ち並びました。こうした光景は平安時代末期より続き、売春宿はないにせよ現在でも露店が立ち並ぶ光景は珍しくありません。

無論、こうした光景は他の一神教寺院ではありえない光景です。同じく多神教であるヒンズー教には、売春寺院というものがあり、「デーヴァーダーシー」と呼ばれる娼婦(しょうふ)が働いていますが、カースト制より仕方なく働くことになった女性が多く、神道の状況とは大きく異なります。

売春寺院が単に経済活動なのに対し、神道では売春自体が神事に結びつくからです。

国家神道と近代思想

神道というものは、明治になるまでまとまった教義が存在しませんでした。各地でそれぞれの神が信仰され、伝わる風習も異なっていたのです。そのため、宗教というよりかはむしろ、「共通意識」と呼ぶにふさわしいものでした。

ところが、明治になり日本政府は天皇を最高神とする国家神道を作り上げました。これは日本を統一国家としてまとめ上げるために必要な仕組みでした。

それと同時に、日本政府は西洋から取り入れたキリスト教的なモラルも、国民の生活の中に浸透させていくように努めていきました。こうすることによって、西洋のような資本主義的な社会構造を作り上げることができるからです。

しかし、そうした経緯から問題となったのは、売春に関する意識でした。キリスト教的なモラルでは、売春はおろか、性に対して強いタブーを設けています。つまり、このモラルの下では家庭外でのセックスは不可となるのです。

ただ、国家は神道を国教にしてしまいました。もちろん、神道の中で売春は容認されています。そのため、売春に関しては厳しいことがいえなくなってしまったのです。

結局そうした経緯で、日本人は売春、ひいては性産業全般に関して極めて寛容な意識を持ちました。公然に風俗街などが存在している現状に、目くじらを立てて怒っている人が少ないことが何よりの証拠です。

確かに売春は日本固有の文化ではありません。ただし、売春に対する意識は、他の国の地域とは一線を画しているといえるでしょう。

日本に根付く売春文化の真実

ここまで述べてきた通り、日本には古くから売春の文化が続いています。奈良時代にはすでに遊行女婦(うかれめ)と呼ばれる売春婦が存在し、それよりも古い狩猟採集の時代でも、体は「女性が売ることのできる価値」として認識されていました。

実のところ、そうした文化は日本のみならず、多くの諸外国の歴史の中にありました。つまり、売春というものは世界各地で普遍的(ふへんてき:どこでも変わらないこと)な文化であったのです。

ところが、文明開化とともに、日本はなぜか「売春は日本固有の文化」であると認識するようになりました。西洋には、そうした文化は端から存在せず、日本は文化的に野蛮であると自ら卑下するようになってしまったのです。

この原因としては、「西洋による上から目線の説教」というものが挙げられます。そしてそれが募りに募り、明治5年に起きた「マリア・ルス号事件」によって、大きく問題視されるに至ったのです。

「近代的な」西洋人、「前近代的な」日本人

「近代」という言葉の定義は複雑であるためここでは語りませんが、この言葉のイメージはなんとなくわかるのではないでしょうか。

「近代」は、科学や法律などが重視されるようになった時代であり、一方「前近代」は迷信や私刑(しけい:法ではなく共同体の意見で刑を科すこと)などが重視された時代というイメージがあれば十分です。

日本に西洋人が訪れたとき、西洋人は「近代人」としてやってきました。それに対し、日本は自身を「前近代人」として彼ら「近代人」を迎えました。

江戸時代までの日本には、遊郭(ゆうかく)や岡場所(おかばしょ)という、今でいう風俗街が存在しており、農村に行けば夜這いや乱交などの風習は根強く残っていました。

もちろん、西洋人はこのありさまを強く非難します。キリスト教的な道義からも、近代国家としての道義からもかけ離れていたからです。

しかし、西洋の近代も、当時それほど性風俗に対して古い歴史を持ってはいませんでした。それまでは、西洋でも日本と同じように私娼(ししょう:個人売春婦)、公娼(こうしょう:おおやけに営業が認められた売春婦)いずれも容認されていたのです。

それなのに、西洋人は日本人に対し、あたかも昔から西洋にはそのような文化はなかったかのように説教を行いました。ただ、当時の日本人にとって、西洋はとても先進的な地域であると捉えられていたため、こうした説教を簡単に受け入れてしまったのです。

マリア・ルス号事件と日本への攻撃

明治5年のある時、マリア・ルス号というペルー国籍の船舶は、マカオからペルーに向かう際、一時横浜で停留していました。その船の中にいたのは苦力(クーリー)と呼ばれた清国(当時の中国)人の奴隷的扱いの労働者でした。

当時、国際的に奴隷に関しては禁止するよう取り決めがなされていたため、日本はこの事件を裁判へと直訴しました。結局、苦力はマカオに返されるなどして裁判は終わりましたが、ペルー側についたイギリス人弁護士が発した言葉が日本に衝撃を与えました。

それが、「日本にも、遊女(ゆうじょ)や花魁(おいらん)などの奴隷が存在する」という指摘です。

もちろん、日本人からすると彼女たちは奴隷という認識はありませんでした。しかし、西洋人からすると性奴隷と区別がつかなかったようです。

こうした流れから、西洋が「売春行為は悪である」と日本に対して説教をする風潮がより激化してしまいました。過去に西洋も売春を容認していたという歴史は棚に上げた論法であったため、日本人はあたかも売春が日本独自の恥ずべき文化であると認識するようになってしまったのです。

マリア・ルス号事件は、西洋人が日本の売春をより激しく非難するためのきっかけにすぎませんでした。とはいえ、日本も近代化をするために、こうした風習を禁じていく流れになったのですから、歴史的には多少なりとも意義があるでしょう。

「売春は日本特有の文化である」という考え方は誤っています。また、それらを恥ずべき文化と考えてしまうのは早計かもしれません。売春文化は、日本の精神性に大きく寄与していますし、その流れから発生した日本人の「性産業に対する寛容さ」はむしろ誇るべきものなのではないでしょうか。

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