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風俗店にはさまざまな種類がありますが、その中でも「風俗の王様」と称される店がソープランドです。男性客は浴槽が設置された個室で女性と本番行為(セックス)を含む性的プレイを楽しむことができます。

ソープランドの歴史は昭和時代(1926~1989年)から始まりました。ここでは、ソープランドの歴史について紹介します。

「トルコ風呂」時代

古くから、西洋の人々はオリエント地域(現在のトルコ、アラビア半島、イラン、イラクなど)を、その神秘性から憧れのまなざしで眺め続けてきました。

そんなオリエントに属するトルコが、まだオスマン帝国という名の国だった頃、西洋からの観光客はトルコの浴場に感銘を受けました。性別で浴場は分かれていたものの、同性であっても人前で裸体をさらけ出すことは当時の西洋人にとっては驚きだったのです。

トルコの浴場に関するうわさ話は、オリエントの神秘性と相まって、以前にもましてエキゾチックな印象を与えました。

こうした思潮(しちょう:ある時代における一般的な考えのあり方)は1950年代の日本にも伝播し、女性が男性のあかすりをする浴場を指して「トルコ風呂」と呼ぶようになりました。

戦後の日本では性風俗が禁止されていくようになりました。しかし、それと同時に法の穴をすりぬけるように、新たな形態の風俗店が発達することとなりました。その際に、サウナとして認可されていたトルコ風呂は、次第に新たな性風俗店としての地位を得ていくようになったのです。

ソープランドの誕生

ソープランドの歴史は1951年(昭和26年)から始まります。創業者は許斐氏利(このみうじとし)氏という人物です。許斐氏は現在のソープランドの前身(ぜんしん:以前の形態)にあたる「トルコ風呂」という店を開業しました。店名は「東京温泉」という名称でした。

トルコ風呂の名称は、トルコにあった公衆浴場に由来しています。トルコの銭湯では、前述の通り「あかすり係と呼ばれる人が、体の垢をこすり落としてくれるサービス」がありました。

日本でできたトルコ風呂では垢を落としてもらうことはできませんが、浴室で女性スタッフが体を洗うサービスをしてくれる点から、トルコ風呂の名がつけられました。

東京温泉は現在のソープランドのサービス内容とは異なる点がありました。東京温泉では「個室のサウナ施設」が中心となっていました。男性客はサウナに入ったあと、「ミストルコ」と呼ばれる女性に汗を拭き取ってもらうことができました

また、ミストルコは男性客にマッサージも行ってくれました。しかし、スタッフは現在の性感マッサージで行われるような「男性器を手で刺激して興奮に導くサービス」は行いませんでした。あくまでも「体の疲れを癒すためのサービス」としてマッサージを行ってくれました。

女性がサービスを行ってくれることから東京温泉は話題となり、トルコ風呂は東京を中心として各地で開業されるようになりました。

トルコ風呂のサービスが過激化し、店舗の増加が続いた

上記のように、東京温泉では性的なサービスは行われていませんでした。しかしその後に登場したトルコ風呂では、サービスの過激化が進みました。

1953年(昭和28年)には、「ミストルコが手で男性客の性器をマッサージして射精に導くサービス」が登場しました。これは「スペシャルサービス」もしくは「おスペ」と呼ばれました。スペシャルサービスは男性客から評判となりました。

ここで1958年(昭和33年)に、風俗業界に大きな変化をもたらした「売春防止法」が施行されました。これは、「風俗店での売春行為(セックス)を禁止する法律」です。

法律が施行されたことによって仕事を失った風俗嬢は、当時はまだセックスを提供していなかったトルコ風呂で働くようになりました。これをきっかけとしてトルコ風呂の店舗数は拡大し、東京都内だけで約30店、全国で約100店が営業されるようになりました。

このころに増加したトルコ風呂は「駅前トルコ」と呼ばれました。駅前にある小さなトルコ風呂で、スペシャルサービスを行ってくれるミストルコが在籍していました。駅前トルコは各地の繁華街に開業されました。

1960年には駅前トルコを含めた東京都内のトルコ風呂は60店を超え、全国で160店を超えました。

トルコ風呂のサービスはさらに過激化しました。1960年代後半になると、トルコ風呂でも風俗店のように「本番サービス(セックス)」が提供されるようになりました

前述の売春防止法が施行されたことによって、風俗店でのセックスは禁止されました。しかし、トルコ風呂では「店の女性と男性客が自由恋愛に発展した」という建前のもと、本番行為が行われていました。

サービスの質の向上とともに、料金も高額になった

トルコ風呂で本番サービスが行われるようになると、料金も高くなりました。

それまでは「入浴料」として6,000円、個室で女性に渡す「サービス料」として14,000円の合計20,000円が相場でした。しかし本番サービス提供後は、入浴料で10,000円、サービス料で20,000円の合計30,000円が相場となりました。

この料金は1万円と2万円の合計であったことから、「ワンツー」と呼ばれました。

当時の風俗業界では、「ワンツーの料金は高すぎるので人気が出ない」といわれていました。しかし業界人の予想とは裏腹に、ワンツー料金で本番サービスを提供するトルコ風呂は大人気となりました。

ワンツー料金のトルコ風呂は、女性による本番サービス(セックス)を提供しただけでなく、プレイ時間を長くしたり、現在でも導入されているエアマット(ビニール製のマット)でのプレイが行われたりしました。

料金が単純に高くなっただけでなく、サービスの質が向上したことにより、男性はトルコ風呂に対してあらためて夢中になったのです。

現代のマットプレイの前身、「泡踊り」が登場

トルコ風呂のサービスは、さらに改良が加えられました。

1969年(昭和44年)にはトルコ風呂に「泡踊り」という新しいサービスが登場しました。これは現在のソープランドで行われている「マットプレイ」の前身にあたるプレイです。

泡踊りではエアマットの上で男性客が仰向けになります。そして、石けんの泡を体に塗った女性が男性の体の上をすべるようにして体を洗います。現在のマットプレイではローションを使用しますが、当時はローションがなかったため、石けんの泡が使われていました。

神奈川県の川崎市には「堀之内」という風俗街がありました。当時、「川崎城」というトルコ風呂が営業しており、そこに在籍する「浜田」という女性が初めて泡踊りを考案しました。浜田は川崎城の女性スタッフに泡踊りのテクニックを教え、川崎城の名物となりました。

そして泡踊りの評判は男性客を通じて全国に伝わり、全国のトルコ風呂でも行われるようになりました。

トルコ風呂は男性客から人気となりましたが、風俗の仕事をしていた女性からも人気となりました。ソープランドは料金が高かったことから、女性にとって高収入を得やすい仕事でした。中にはひと月で200万円以上の収入を得る女性がいました。

ちなみに泡踊りを考案した浜田の月収は1,000万円を超えており、破格の収入でした。

トルコ風呂からソープランドに

大人気となっていたトルコ風呂ですが、1984年(昭和59年)に現在の「ソープランド」に名称が変更されました。これは東京大学に在学していたトルコ人留学生であるヌスレット・サンジャクリさんが、厚生労働省にトルコ風呂の名称変更を訴えたためです。

当時はトルコ風呂が東京に数多く営業されていたことから、「東京都特殊浴場協会」という団体が形成されていました。東京都特殊浴場協会はヌスレット・サンジャクリさんの訴えを重く受け止め、トルコ風呂の新たな名称を公募しました。そして公募の結果、現在の「ソープランド」に改称となったのです。

五輪の脅威

トルコ風呂の名で知られていた時代から、ソープランドの脅威となってきたのが東京五輪の開催です。

1964年、日本では東京五輪が開催されました。五輪は、各国から多くの選手や重鎮が集う、国家の威信をかけたプロジェクトです。そのため、当然東京の町もそれにふさわしいように再開発されていきました。

その際に、厳しく取り締まられたのが風俗店でした。特にソープランドは赤線(あかせん:戦前まで風俗営業が取り締まられなかった地区)廃止後には、本番を伴ったサービスが人気を博していました。そのため、当局は本腰を入れて取り締まりを強化していったのです。

もちろん、東京五輪の後にも、多くのソープランドが現存していることからわかる通り、全滅してしまったわけではありません。ただし、当時がソープランドにとっては受難の時期であったことには変わりありません。

ソープランドの過去を見てみると、日本の大きな出来事と連動した歴史を持っていることがわかります。

現代のソープランドはこうした歴史を経て、多くの男性客に親しまれるサービスとして現在に至っています。ソープランドは特定地域に密集していることが多く、現在ではこうした地域は「ソープ街」と呼ばれています。「風俗の王様」と呼ばれるサービスには、深い歴史があったのです。

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