日本の風俗

名古屋でかつて賑わった中村遊郭の歴史と、大門ソープ街の現状

名古屋には、かつて「中村遊郭(なかむらゆうかく)」という風俗街がありました。江戸時代(1603~1867年)に建設され、当時はたくさんの男性客で賑わいました。中村遊郭は消滅したものの現在も当時の名残が残っており、ソープランドが営業されています。現在の中村遊郭跡は、「大門(おおもん)エリア」と呼ばれています。

名古屋で女性とのセックスを楽しみたいのであれば、中村遊郭跡へ足を運んでみることもお勧めです。また、女性とのプレイを楽しめるだけでなく、かつて遊郭があった雰囲気を体験することができます。

ここでは中村遊郭の歴史について述べたあと、「大門エリアにおけるソープランドの相場」「現在における大門エリアの様子」を紹介します。

名古屋の風俗街の前身、中村遊郭

中村遊郭は、かつて「名古屋を代表する風俗街」として賑わっていました。江戸時代に名古屋の藩主(はんしゅ:日本の各地にあった藩という小国を統治する武士)であった徳川宗春(とくがわむねはる)という人物が、名古屋城周辺に歓楽街を作りました。

また、徳川宗春は名古屋城周辺だけでなく、名古屋の周辺地域にも遊郭を設置しました。その中のひとつに、大須(おおす)という地域に設置された「旭遊郭(あさひゆうかく)」があります。旭遊郭は非常に繁盛し、たくさんの男性客で賑わいました。

徳川宗春のこうした町づくりは成功し、名古屋は大きく発展しました。しかし名古屋の街が発展すると同時に、各地に設置された遊郭で「風紀の乱れ」が生じました。遊郭があることで、周辺地域の治安が悪くなったのです。

旭遊郭は「風紀を改善するべき街」の筆頭とされました。また、旭遊郭そのものが手狭になってきたことから、旭遊郭は移転することになりました。こうして現在の名古屋市中村区に誕生したのが「中村遊郭」です。

中村遊郭は「江戸のテーマパーク」と呼ばれた遊郭、「吉原(よしわら)」を見本として設立されました。ただ、敷地面積は吉原よりも中村遊郭のほうが広く、吉原が2万坪(66,000m2)であったのに対し、中村遊郭は32,000坪(105,600m2)でした。中村遊郭は、広さで吉原を抜いて「日本最大の遊郭」だったのです。

中村遊郭は設立当時、旭遊郭の名残から「旭廓(あさひかく)」と呼ばれることがありました。

中村遊郭の跡地「大門エリア」

広大な敷地で人気となった中村遊郭ですが、1914年の第一次世界大戦ごろから営業が規制されるようになりました。そして、風俗店は規制の影響を受けて徐々に衰退を余儀なくされました。

こうした流れから、中村遊郭は昭和32年12月に廃業しました。しかし、中村遊郭が存在した現在の名古屋市中村区には、当時の名残が感じられます。

昭和32年(1957年)の中村遊郭廃止後、この地域は「赤線地帯」となりました。赤線地帯とは、1946年から売春防止法が公布された1958年までの間、政府が売春を許可した地域です。そのため中村遊郭跡では、女性とセックスを行える風俗店が営業されていました。

さらに1958年以降は赤線地帯が廃止されましたが、中村遊郭跡は「特殊浴場営業許可地域」となりました。特殊浴場とは「ソープランド」のことを指します。

ソープランドでは「女性とバスタブに一緒に入ったり、セックスをしたりできるサービス」が提供されています。そのため「特殊浴場」や「個室付き特殊浴場」と呼ばれることがあります。

この地域はソープ街(ソープランドが建ち並ぶ街)として発展したものの、中村遊郭が存在していた頃の活気を取り戻すほどではありませんでした。現在ではソープランドが残っているものの、周辺地域は落ち着いた雰囲気となっています。

また、現在の中村遊郭跡は通称「大門エリア」と呼ばれています。大門エリアは名古屋駅の西側にあり、名古屋駅から徒歩15~20分ほどで向かうことができます。また、名古屋市営地下鉄・東山線の「中村公園駅」や「中村日赤駅」からも、徒歩5分ほどと近い場所にあります。

また、名古屋から近い場所にあるソープ街として有名な場所に、岐阜の金津園があります。店舗数は大門よりも金津園のほうが多いですが、人によっては「女性の質やサービス内容は、都市部にある大門ソープランドのほうが上」と考えることがあります。

大門エリアにあるソープランドの特徴・料金

一般的に、ソープランドで店に支払う料金を「入浴料」と呼びます。これに対して大門エリアのソープでは、入浴料を「入泉料」と呼びます。入浴料を支払った後にソープ嬢(ソープランドで働く女性スタッフ)へ「サービス料」という料金を支払う仕組みは大門エリアでも同じです。

大門エリアにおけるソープランドの平均相場は入泉料として8,000~9,000円、サービス料として10,000円ほどであり、総額で「60分20,000円ほど」となっています。

名古屋におけるファッションヘルスやピンサロなどの一般的な風俗店の相場は、60分12,000~15,000円です。これらの店で楽しめるプレイは手コキやフェラチオなど、いわゆる「抜き」のサービスです。

一方、大門エリアのソープランドでは女性と本番行為(セックス)を楽しむことができます。そのため60分20,000円という料金は、検討する価値があります。

ちなみに現在でも人気のソープ街である東京・吉原は60分コースの店が少なく、90分や120分が一般的です。料金は一般店で30,000~40,000円となっています。

吉原ソープの相場は60分に換算すれば名古屋の大門エリアと同程度であるものの、実際に60分で遊べる吉原の店はあまりありません。

大門エリアのソープランドは、店の外観に時代が感じられます。この地域で営業するソープランドは法律により、名義変更や増改築・改装ができない決まりになっています。そのため昭和の時代に建てられた店は、外観・内装がそのままの状態で現在まで営業されています。

こうした営業上のルールがあるのに加えて、昭和のころから店舗名が変わっていない店がたくさんあります。

現在の大門エリアでは、約15店舗のソープランドが営業されています。このうち店によっては、店名を昭和のころから変えていないところがあるのです。

ただ、外観に古さが感じられても、ソープ嬢に関しては若い女性がたくさん在籍しています。そのため大門エリアのソープランドでは、女性とのエッチに満足することができます。

現在の大門エリアでは、ソープ街と住宅街が共存

私は名古屋を訪れた際に、中村遊郭跡である大門エリアを歩いてみました。そのときの様子を紹介します。

名古屋駅から西へ向かって歩くと、下町の雰囲気が感じられる商店街があります。商店街の大通りを真っすぐ進むと、中村遊郭跡である大門エリアがあります。

大門エリアは現在でも、区画が当時から変わっていません。上空から見ると正方形の形をしており、碁盤の目に道路が通っています。

このエリアの中央を南北に貫く大通りを「大門通り」と呼び、南端と北端に「大門」と書かれたアーチが設置されています。これは現在も大門エリアのシンボルとして残っています。

中村遊郭には大門町・羽衣町・日吉町・賑町・寿町という5つの町が存在していました。これらの町名も、現在そのまま使われています。

また、当時の中村遊郭には、遊郭に存在した風俗店を管理する「組事務所」が存在していました。事務所はすでに取り壊されており、代わりに周辺地域の住民が買い物をするスーパーが営業されています。

私はこのスーパーに入店してみましたが、普通の男性や女性、学生に混じって怖そうな雰囲気の男性も買い物をしており、ソープ街であることが感じられました。

スーパーの屋上は駐車場になっており、周辺の様子を見渡すことができます。上から遊郭跡を眺めることができるので、興味があればスーパーの屋上へ足を運んでみてください。柵が張られているため少し見にくいものの、古い建物がたくさん残っている様子を確認できます。

スーパーの向かいには、現在もソープランド(特殊浴場)が営業されています。上図の店はスーパーの向かいに位置するソープランドです。

大門には「住宅」「現在も営業されているソープランド」「遊郭時代から残る建物」が混在しており、独特の雰囲気が感じられます。

通常、治安の悪化などを防ぐために、住民の居住地風俗街は明確に分けられていることが多いです。

しかし大門エリアでは、一般市民の生活環境に極めて近い場所で風俗店が営業していました。私はこの状況に対して、非常に驚きを感じました。

スーパーへ買い物に行く若い女性や年配の方々、学生なども、こうした建物のそばを普通に横切っていました。大門エリアのソープランドで遊ぶ場合、入店する姿を周辺地域の人に見られる可能性は高いです。あまり気にせず店へ入れば問題ありませんが、人目を気にする場合は念頭に置いておいてください。

中村遊郭跡を歩いてみると、遊郭が賑わっていた当時から残っている建物が至る所に残っていました。

上の建物は、遊郭時代に「料亭 稲本」という店名で営業されていました。私が向かったときには「べんがら亭」という札がかけられており、別の店に変わっていました。ただ、現在も当時の建物をそのまま利用して営業されています。

この建物は「名古屋市都市景観重要建築物」に指定されており、歴史的な建造物と認められています。

この建物には2階部分があります。男性客は2階で、風俗嬢とのエッチを楽しむことができたと考えられます。

江戸時代(1603~1868年)に存在した風俗店は妓楼(ぎろう)と呼ばれ、2階建ての造りとなっていました。男性客は妓楼に入店すると遊女(ゆうじょ:当時の風俗嬢)と一緒に2階へ上がり、セックスを楽しんでいたのです。

妓楼という呼び方は江戸時代が終わると、徐々に使われなくなりました。ただ、「2階に上がって女性とエッチをする」という仕組みは、江戸時代以降も残っていました。

入り口の前に立つと、建物の中を覗くことができます。中には「坪庭(つぼにわ)」と呼ばれる庭が見えます。坪庭は「建物や垣根に囲まれた庭」を指し、中村遊郭が賑わっていた当時、流行の建築様式でした。坪庭を設けた建物は、上空から見ると「ロ」や「コ」の形になっています。

中村遊郭跡の上空マップを見てみると、確かに「ロの字型」や「コの字型」の建物が点在しています。

また、上記の「料亭 稲本」であった建物以外にも、遊郭時代から残されている建物を見ることができました。

上の建物も、遊郭時代から残っていると思われる建物です。私が足を運んだときには、この建物は一般的な飲食店として営業されていました。

中村遊郭跡の古い建物は、「高齢者向けの介護事業を展開する業者」や「きしめん屋・そば屋」などに変わっています。中村遊郭跡周辺には高齢者が多い傾向にあり、周辺住人が利用しやすい店が増えたと考えられます。

また、細い路地に入ると、現在も営業されているソープランドを見つけることができました。ソープランドは法律により、「建物の改装や改築」を行うことができません。そのため昭和時代に建てられた建物がそのまま利用されており、看板やネオンの使い方から、当時の雰囲気を感じることができます。

大門エリアには、マンションも建ち並んでいます。マンションの向かいにも、ソープランドが営業しています。

私が足を運んだときには周辺住民の方々が往来しており、現在の大門エリアは落ち着いた雰囲気であるように感じました。しかしときには暴力団関係者が怒鳴りあったり、飲食店で怖そうな雰囲気の男性が食事をしていたりといったことがあるようです。

私は中村遊郭跡をしばらく散策していましたが、危険な目に遭うことはありませんでした。少しソープランドへ遊びに行く程度であれば、上記のような場面に遭遇することは少ないはずです。

大門エリアにはソープランドのような「特殊浴場」だけでなく、一般的な銭湯もありました。自転車が数台止まっており、現在も比較的利用者がいるのだと思われます。銭湯の外観は古く、この地域が賑わっていた頃から営業していると思われます。

 

私は中村日赤駅から地下鉄に乗って、名古屋駅へ帰りました。大門エリアと中村日赤駅は前述のように、徒歩5分ほどの場所に位置しています。

中村日赤病院の建物は新しく、中村遊郭跡とは対照的な雰囲気でした。かつて遊郭であった地域の近くに綺麗な病院があることに、私は違和感を覚えました。

このようにかつての中村遊郭跡である大門エリアには、昭和時代から続くソープランドが営業しています。

スーパーやマンションや建ち並び、一般住民が行き交う中でソープランドが営業している様子は、大門エリア特有の雰囲気といえます。女性とのセックスや当時の雰囲気を楽しむことができるため、名古屋を訪れたときに大門エリアへ立ち寄ってみることをお勧めします。

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