東京には数多くの風俗街が存在しますが、若者の街として知られる渋谷にも「円山町(まるやまちょう)」という風俗街があります。現在の円山町にはラブホテルや風俗店が建ち並んでおり、東側には道玄坂という有名な坂があります。

円山町の歴史は江戸時代(1603~1868年)から始まりました。ここでは、円山町の歴史について紹介します。

円山町は江戸時代に誕生した

円山町の歴史は江戸時代から始まりました。

円山町は渋谷と神泉谷(しんせんだに)という2つの谷に挟まれた場所に位置しています。江戸時代の神泉谷には火葬場がありました。当時、火葬の仕事をする人は「隠亡(おんぼう)」と呼ばれました。神泉谷は「隠亡谷(おんぼうだに)」と呼ばれることがありました。

神泉谷にはわき水が湧いており、この水を利用して円山町には公衆浴場や温泉が作られるようになりました。そして円山町は、宿場町(しゅくばまち:旅人のための宿泊施設が建ち並ぶ町)として栄えるようになりました。

当時、現在の東京から山梨をつなぐ「甲州街道(こうしゅうかいどう)」という広い道路が整備されました。この脇道として大山街道という道があり、円山町はこの道沿いにありました。そのため円山町は、多くの旅人にとって訪れやすい場所だったのです。

多くの人でにぎわうようになっていた円山町ですが、1885年(明治18年)には神泉館(しんせんかん)という料理旅館が開業されました。さらに1887年(明治20年)に入ると「宝屋(たからや)」という芸者屋(げいしゃや:芸を行う女性が在籍している店)が開業されました。

これらの店の開業がきっかけとなり、円山町にはさまざまな芸者屋や料理店が営業されるようになりました。そして円山町は、歓楽街として発展するようになりました。

また、江戸時代の円山町は宿場町でしたが、ほかの地域の宿場町では「男性客が店の女性スタッフと性行為を行える宿泊施設」がありました。円山町の宿場町でこうした宿泊施設があったかは不明確で、歓楽街として発展した記録が残っているのは明治時代以降となっています。

三業地として指定され、さらに発展

円山町は順調に発展し、大正時代の1913年(大正2年)に「三業地」として指定されました。三業地とは、料理屋・待合茶屋(まちあいぢゃや:会合や待ち合わせのための場所を提供する店)・芸者屋の3つをまとめた「三業」が許可された地域のことを指します。

さらに大正時代には、日本は戦争に備えて軍事施設などが多く建設されるようになりました。円山町の付近にも「代々木練兵場(よよぎれんぺいじょう)」という、兵士の訓練場が設けられました。

1923年(大正12年)には関東大震災が起きました。その直前までが円山町の繁栄のピークで、合計で600軒を超える料理屋や芸者屋などが並んでいました。

さらに昭和時代(1926~1989年)に入ると、東京への空襲が始まりました。空襲は1944年(昭和19年)から終戦の1945年(昭和20年)まで続きました。円山町周辺も大きな被害を受けましたが終戦後の円山町は復興を遂げ、歓楽街は維持されました。

昭和の時代に入り現在のラブホテル・風俗店が建ち並ぶ街へ

昭和の時代に入ると徐々に円山町で営業する店に変化が生じました。それまで三業として人気が高かった料理店や芸者屋、待合茶屋は徐々に人気がなくなり、閉店する店が出てきました。

現代に残っている1957年(昭和32年)の円山町の地図には、料理店などに加えて当時人気が出始めていた映画館が建ち並んでいた記録が残っています。

さらに1977年(昭和52年)の地図では、現在も円山町にたくさん建ち並んでいるラブホテル街が形成されている記録が残っています。こうしたホテルの中には廃業したホテルもありますが、名称変更が行われて現在まで営業が続けられているホテルもあります。

ここから日本はいわゆる「バブル時代」に突入しました。バブル時代は昭和の1980年代後半から1990年代初頭にかけての好景気の時期です。この時期には三業の店はほとんどなくなり、ラブホテルや風俗店が中心となりました。バブルにともない円山町もにぎわい、多くの男性客が訪れました。

そして現在の円山町では上記の店に加えて、新たにクラブやライブハウスなどが営業されるようになっています。また、裏道に入るとさまざまなバーがあり、渋谷の喧噪から離れて落ち着いて過ごすことができる店が多く並んでいます。

現在は明治・大正・昭和時代に営業されていた料理店などはなくなっています。しかし、そのときの建物はところどころに残っており、当時の雰囲気を感じることができます。

このように渋谷の円山町は、江戸時代からその歴史が始まりました。もともとは料理店や芸者屋がたくさんありましたが、その後はラブホテルや風俗店が建ち並び、さらにクラブが営業されるようになりました。

円山町は、時代とともにその姿を変えてきた街なのです。

実際の円山町の様子を確認する

それでは、現在の円山町はどのような様子になっているのでしょうか。円山町は渋谷駅を降りてスクランブル交差点を渡った先にあります。

円山町の細い路地に入っていくと、風俗店で働く女性の求人サイト広告がありました。ただ、なぜか逆向きに貼られています。何かしら、重大な手違いがあったのでしょう。

数は少ないものの、円山町では風俗店が営業されています。もちろん、キャバクラやピンサロなどの風俗店を紹介する無料案内所もいくつかあります。

なお、無料案内所であろうと推測できるものの、何の店なのか分からない店舗もあります。入店するためには、かなりの勇気が必要です。

ただ、円山町の中でこうした風俗店は少数であり、それよりもラブホテルの方が多数を占めます。円山町を歩くと、そのほとんどがラブホテルであることに気がつきます。

街を歩いていると、若い男女から中年の男女まであらゆる人がそれぞれ手をつないで道を歩いています。その多くは、ラブホテルの中へ吸い込まれるように入っていきました。

また、中には男女ではなく、どう考えても親子の女性2人がキャリーバックをもって歩いていました。その2人を観察していると、やはりラブホテルの中へと入っていきました。

一般的なホテルに比べると、ラブホテルの料金は安いように思えます。例えば円山町のラブホテルで宿泊するとき、翌朝11:00まで滞在できるプランで7000円ほどでした。

内装はきらびやかですが、一般的なビジネスホテルよりもラブホテルは部屋やベッドが広いです。そうしたことを考えると、こうしたラブホテルを宿泊施設として利用しようとしたのでしょう。2人での宿泊で7000円なので、1人3500円と格安で泊まれるのがラブホテルです。

カップルの中には、「部屋は開いているかな?」とつぶやいていたり、「他もみたけど、わりと埋まっているね」と話したりしながら歩いている人もいました。お互いに同意の上、男女の仲を深めるために円山町のラブホ街を歩いているのだと思います。

なお、円山町にはラブホテルや風俗店だけでなく、料亭も存在しました。高級な食事を提供してくれるのだと思います。かつて芸者屋があったことから、高級料理を提供する店も円山町に残っているのです。ちなみに、料亭の隣はラブホテルが連なっていました。

このように、ラブホテルがたくさん立ち並ぶ街として円山町があります。渋谷にある歓楽街として、現在も多くの人が行き交っています。

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