人身売買と聞くと、発展途上国で行われているというイメージが根強く残っています。まさか、日本で人身売買が行われていると考える人は少ないでしょう。
しかし、日本では多くの女性が、人身売買やそれに近しい仕打ちを受けていることが明らかとなっています。大変おぞましいことですが、2000年以降もこうした被害は後を絶ちません。「日本は安全」というイメージの水面下では、身の毛もよだつ行為が横行しているのです。
また、こうしたことに大きく関与しているのがヤクザです。人身売買は古くから風俗や売春、ヤクザなどと深い関わりがあります。そこで、ここではヤクザと歓楽街との関係性についても学んでいきます。
人身売買の歴史
人身売買は、前近代の日本では大っぴらに行われていたものでした。農村部では、人口を抑制するための間引き(まびき:子供を口減らしのために殺してしまうこと)や、金銭を得るために子供を他の場所に売ってしまうことも日常的でした。
特に、遊郭(ゆうかく)などに売られた子は、そこで遊女(ゆうじょ)として働くことになったといいます。
もちろん、こうしたことは日本が法治国家となった後には、法律的に禁じられました。ところが、それでも人身売買はやくざの稼業とし生き残り続けたのです。
現在の人身売買
人身売買は、大きく分けて「性的目的」、「臓器目的」、「労働目的」という3つの目的のために行われます。その中でも、現在日本で行われている人身売買は性的目的であることがほとんどです。
人身売買に用いられる手口はさまざまですが、最も単純な方法は誘拐です。誘拐が行われる場所としては、大阪西成などの裏ビジネスが蔓延している地域であることが多く、ターゲットも女子中学生や女子高生などの若い女性です。
また、平成初期に起きた三重小2女児失踪事件は未解決のままですが、これも性的目的の人身売買に関係しているとささやかれています。
その事件では、誘拐されたと考えられる女児の実家に、ある人物から怪文書が届けられ世間を騒然とさせました。怪文書には「トミダノ股割レ(とみだのまたわれ:風俗嬢の蔑称と考えられている)」や「アサヤン(やあさん → やくざ)」などの記述がみられることから、性的目的のための誘拐であったと推測されています。
誘拐以外にも、人材斡旋のように未成年の児童を売り買いする裏ビジネスなども、日本における人身売買を助長しています。
いずれにせよ、日本で人身売買が行われているというのは事実です。貧困国で起きているような人身売買は、決して他人事ではないのです。
世界からの批判
以上のことから察せられる通り、日本における人身売買の実情はあまりにもひどく、世界中から批判を浴びています。ある機関が、人身売買に関与している国をランキングにした際に、日本はワースト10位に位置付けられたこともありました。ちなみに、先進国でランクインしているのは日本のみです。
とはいえ、日本人が感じている人身売買と、海外が感じる人身売買とは多少のずれがあります。例えば、日本には「JKリフレ」などに代表される性交渉を伴わない風俗産業が存在します。こうした状況を見て、海外は「人身売買」であるとやり玉に挙げることがあります。
しかし、彼女たちは強制的に売り買いされる存在ではなく、収入もあります。こうしたことから、人身売買と決めつけてしまうのは、実態をとらえきれていないといわざるを得ません。
日本と世界との認識のずれを直すことは難しいかもしれませんが、日本の状況を理解してもらうことも重要です。ただ、本当に残虐非道な人身売買がたびたび日本で起こっていることも、まぎれのない事実であることを忘れてはなりません。
歓楽街における売春産業とヤクザとの関係
これら人身売買や風俗、そして歓楽街は密接に絡み合っています。性風俗のみならず、歓楽街には数多くの店が立ち並び、人々の好奇心を刺激します。風俗を利用する前のドキドキ感は、歓楽街が発する特有の雰囲気にも理由があるのかもしれません。
ただ、歓楽街は楽しい街という認識だけではおさまりません。どこか危なっかしく、血なまぐさい雰囲気も有しています。確かに、私たちは歓楽街に何か恐ろしいものを感じてしまいます。
その原因は、やはり歓楽街を仕切る者たちの存在が考えられます。すなわち、ヤクザのことです。
歓楽街は私たちに快のサービスを与えます。しかし、同時に不快にさせる表裏一体のサービスも提供するのです。一見矛盾するふたつの存在ですが、それがなくして歓楽街、ひいては売春産業は成り立ちません。
快を与えるサービス
基本的なサービス業であればほとんどの場合、顧客に「快」を与えて、その対価としての料金を受け取ります。もちろん、性風俗でも同じことがいえ、客に性的サービス行い、その対価を収益へと回します。
つまり、快を与えるサービスというものは、至極まっとうなビジネススタイルです。歓楽街はもちろん、どんな商店街でも当てはまるものなのです。
ただし、快を与えるだけの街では、歓楽街ということはできません。
不快を与えるサービス
その逆で、「不快」を与えるサービスもあるというのが、歓楽街の特徴です。
その最たる例がぼったくりバーなどです。店は甘い言葉を吹きかけて客をおびき寄せ、法外な値段を吹っかけて暴力をちらつかせます。もちろん、客は恐怖によりなす術もなく、金銭を支払ってしまうのです。
こうしたシステムを持つのが、不快を与えるサービス業です。変ないい方かもしれませんが、店は客に「不快」を与えて、客はそれから逃れるための金銭を支払う構図となっているのです。
このように、歓楽街は根底にうっすらながら暴力が見え隠れする街です。しかし、それは一般人が見た印象であり、本当はどす黒く濃い暴力が町全体を支配しているのです。
売春産業の中にヤクザの介入があることは、一般的に知られている事実です。そのため、風俗の集合体である歓楽街の長は、どこかしらのヤクザなのです。
売春婦のヒモとなるヤクザ
ヤクザは、まっとうな仕事をしておらず、一般的にいうところの「生産活動」を行うことはありません。そのため、かなり時間に融通が利くのが特徴です。
そのような、いわゆる「ヒマ」の時間を、彼らは売春婦へのケアの時間に充てます。
一方、売春婦は大衆相手の性行為が仕事であるため、一切情に流されないことがほとんどだといいます。ただし、愛を伴わないセックスというものは、精神的に大変苦労の大きいもので、売春婦は常に孤独を感じているのだといいます。
そうしたところで、ヤクザが時間をかけてケアをしてくれると、売春婦側も心が救われます。売春婦に心の満足感を与える代わりに、ヤクザは彼女のヒモとなって金銭等を納めさせます。
また、ヒモとなった後は、売春婦と一種の共同体のような関係に近くなります。男が仕事で金が必要になったら、売春婦はそれに合わせてたくさん稼ぐように努力をしなければならないし、男が捕まってしまったら、残された子供などをしっかりと養わなければなりません。
こうして、売春婦とヤクザとの関係が出来上がっていきます。つまり、風俗の集合体である歓楽街に、暴力が存在しないわけがないのです。
もちろん、暴力だけで街は成り立ちません。そのため、普段は何もしないけれど、たまに針を刺す蜂のように、快と不快とを巧みなバランスで保ち続けているのです。歓楽街に潜む恐怖とは、街自体が発し続けている警戒音のようなものなのかもしれません。利用の際には、歓楽街の深みにはまらないように心がけましょう。