規模の大きな風俗街は日本全国に点在していますが、兵庫県にある風俗街で人気なのが「福原」です。神戸市兵庫区に位置しており、約100軒にも及ぶ風俗店が営業されています。

福原は現在、ソープランドが多数営業されている「ソープ街」として有名です。ただ、ヘルスやピンサロなど、さまざまな種類の風俗店も合わせて建ち並んでいます。

ここでは福原の歴史と現状を紹介します。

明治時代に設立された福原遊郭(ふくはらゆうかく)

福原の始まりは明治時代(1868~1912年)までさかのぼります。当時は福原遊郭(ふくはらゆうかく:遊郭は風俗街のこと)という名称で設立されました。

福原遊郭が設立された背景には、明治時代の前にあたる江戸時代(1603~1868年)の1858年に、「日米修好通商条約」という条約が結ばれたのがきっかけです。日米修好通商条約は「アメリカと日本の貿易の自由」に関する条約です。

この条約が結ばれたことにより、貿易のために神戸港が開港されました。そして日本に滞在する外国人のための「外国人居留地」も合わせて設置されました。こうした神戸に増えた外国人をターゲットにして、福原遊郭が1868年に設置されました

しかし1870年に、大阪と神戸を結ぶ鉄道が作られることになりました。そのため福原遊郭は、もともとの兵庫区川崎町から現在の福原町に移転することになりました。移転後の福原遊郭は「新福原」と呼ばれました。

移転してから2年後の1872年、娼妓解放令(しょうぎかいほうれい)という法令が公布されました。

当時、風俗嬢は風俗店に借金を背負っている人が多くいました。そしてそのために、女性は店から過酷な労働を強いられていました。娼妓解放令はこうした風俗嬢の人権を尊重し、女性を解放するための法令でした。

娼妓解放令が公布されたとき、福原遊郭は営業禁止となりました。しかし福原遊郭の風俗店の経営者たちは政府に対して抗議を行い、1873年(明治6年)に福原遊郭は営業が再開されました。しかし今度は、神戸港の貿易が不調であったことから、福原遊郭を訪れる男性客は少なくなりました。

さらにこのあとも福原遊郭はトラブルに見舞われました。1896年には大きな台風が襲来したことにより福原遊郭は大損害を受けました。さらに1906年には大火災が起き、福原遊郭の大部分が焼失してしまいました。

神戸はこの間、経済的に成長していました。そのため福原遊郭は打撃を受けながらもにぎわいを見せていました。

しかしここで起きたのが第二次世界大戦(1939~1945年)です。神戸の街は空襲を受け、福原遊郭の風俗店のスタッフや風俗嬢も避難し、福原遊郭の営業は停止しました。

しかし戦後、福原遊郭は「赤線地帯(政府公認の売春許可地域)」として再開されました。

赤線地帯となった福原遊郭には、男性客がふたたび訪れるようになりました。当時の福原遊郭には、200を超える風俗店と800人を超える風俗嬢がいた記録が残っています。

「浮世風呂」が人気に

戦後は順調ににぎわった福原遊郭ですが、1958年に「売春防止法」という法律が施行されました。売春防止法は「風俗店での売春を禁止する法律」です。この法律により、福原遊郭で売春を行っていた赤線の風俗店は廃業に追い込まれました。

しかし廃業した風俗店は、「浮世風呂」という店に業態を変えて再開しました。浮世風呂では表向きは「旅館」として営業しており、男性客は施設の中で女性と入浴後、セックスを行うことができました

福原以外の地域の赤線地帯にあった風俗店は、戦後はソープランドの前身(ぜんしん:前の形態)であるトルコ風呂に移行しました。一方で福原ではトルコ風呂ではなく、浮世風呂に移行したのです。

浮世風呂は「女性と入浴してセックスをすることができる点」は、トルコ風呂に似ていました。しかしトルコ風呂で用意されていたマットや椅子は、浮世風呂にはありませんでした。そのため浮世風呂では、トルコ風呂のようにマットプレイや椅子を使ったプレイを行うことはしませんでした。浮世風呂はあくまでもセックスがサービスの中心でした。

そうした中で福原にも、徐々に全国各地で行われていたソープランドのサービス内容が伝わりました。そして、マットや椅子のない浮世風呂からソープランドに移行していきました。

現在の福原にある風俗店は、建物が新しい

現在の福原にある風俗店は、比較的新しい建物で営業されている店が多いです。これは1994年に起きた「阪神・淡路大震災」が関係しています。

震災が起きたとき、福原にあった建物は崩れることはありませんでしたが、壁に亀裂が入ったり、建物が水漏れしたりするなどの損害がありました。こうした風俗店は、内装や外装の修復によって店をリニューアルして営業を再開しました。修復をした店が多かったため、福原の風俗店は新しく見える店が多いのです。

震災直後は福原を含めて神戸全体が大きな損害を受けていました。しかしその後、建物の復興のために仕事をする男性が神戸に増え、福原もにぎわうようになりました。ただ、この盛況ぶりは長くは続かず、2000年代に入った福原は落ち着いた雰囲気となっています。

このように兵庫県神戸市の福原は、戦争や災害などさまざまな出来事の中で存続してきた風俗街です。現在は神戸周辺の男性に親しまれており、人気のソープ街となっています。

神戸・福原の風俗街

それでは、実際の福原はどのような様子なのでしょうか。福原へ行くとき、最寄り駅としては高速神戸駅、新開地駅、湊川公園駅などがあります。

福原には通りがあります。それぞれは「桜筋」「柳筋」と呼ばれ、この通りの間で風俗街が形成されています。

福原の街を歩くと、そこには多くの風俗店が軒を連ねています。

他の風俗街と大きく異なる点として、キャッチをするために立っているボーイの男性が非常に少ないということです。店によっては、「呼び込み行為は一切行っていないため、マットの中までお入りください」などのように店頭表示していることがあります。

また、客引きの男性がいたとしても店の外に出ることはなく、あくまでも店内から声をかけるだけに留まっています。

新宿・歌舞伎町などであれば、看板に「客引き行為は違法です」とあるものの、非常にしつこい呼び込み行為があります。それに比べると、非常に秩序が守られている風俗街です。

福原の街を歩いていると、警察の車が通り過ぎていきました。違法な客引きをしていないか、街をパトロールしているのだと思います。

スナックやファッションヘルスなどの店はあるものの、目につく店舗は主にソープランドです。セックス(本番行為)を提供する店であるため、必然的に値段は高額になってしまいます。

風俗街ではあっても、一般的な風俗街では「車が余裕をもって通れるくらいの幅がある道」に風俗店が営業しています。ただ、福原の場合は非常に狭い道が多く、ギリギリ車が通れるほどの道であっても多くの風俗店が営業されています。

そうした狭い道にも、店内からキャッチのお兄さんが声をかけてくることがあります。「お兄さん、いまならフリーで60分2,000円引きから案内できますよ! 写真だけでもいいので見てみませんか」などのように、興味をそそる声を投げかけてきます。

狭い道や路地裏に店舗を構えていることがよくあるため、ウェブサイトなどで事前に予約している人の場合、店の場所が分かりにくいかもしれません。そのため、夜遊びをするときはしっかりと店の住所や場所を調べたうえで向かうようにしましょう。

福原は風俗街であるため、無料相談所も存在します。夜遊びをすることは決めているものの、どの店を活用すればいいのか迷っている場合は積極的に利用するといいです。

なお、営業停止を食らっている店舗が存在しました。どのようなことで営業停止になったのかは分かりませんが、本来はソープランドとしてセックスを提供していること自体が違法なので、風俗店では常にこうしたリスクを抱えています。

また、福原の風俗街には神社があります。風俗街は歴史ある町であることが多いため、風俗街を歩くと高確率でこうした神社を発見することができます。

なお、風俗街では多くの場合でラブホテルが存在します。デリヘルなどを呼ぶとき、ラブホテルは重宝されます。ラブホテルとデリヘルはセットであるため、風俗街ではラブホテルが建設されるようになるのです。

これは福原も同様ですが、ラブホテルの数自体は少ないです。ただ、非常に立派なラブホテルが存在しました。

また、ソープランドとはいっても店舗によってコンセプトが異なります。制服や体操着など学園をイメージしたソープランドがあれば、ソープランドにも関わらず花びら回転(一人だけの女性とプレイするのではなく、交代で何人かの女性に相手をしてもらう形式)を楽しめる店舗もあります。

格安店から高級店まで、コンセプトの異なるソープランドが福原では多く営業されているのです。

このように、福原ではソープランドをメインとして多くの風俗店が営業しています。客引き行為は激しくなく、風俗街ではあるものの落ち着いて街を見回ることができます。

神戸の風俗街として、福原は有名です。関西に出かけたとき、興味が沸いたら立ち寄ってみてください。

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