また、沖縄では消えた風俗街も存在します。沖縄でかつて高い人気を誇っていた風俗街に、「真栄原(まえはら)」という場所があります。通称「新町(しんまち)」とも呼ばれ、真栄原社交街という名前で「ちょんの間」が多数建ち並んでいたことで知られています。
しかし現在では真栄原社交街のちょんの間はなくなっており、過去の街となっています。いまはボロボロの平屋だけが立ち並び、ゴーストタウン化しています。
ちょんの間が多数存在した風俗街
真栄原は沖縄の県庁である那覇市から、北東方面へ車で15~20分ほどで到着する宜野湾市内にあります。
真栄原周辺では看板や建物などに「真栄原社交街」と書かれているのを見かけることがあります。「社交街」という言葉は、沖縄で歓楽街を意味する言葉として使われていました。真栄原は「新町」と呼ばれることもありましたが、新町も歓楽街を意味する言葉でした。
真栄原にはかつて、たくさんの「ちょんの間」が建ち並んでいました。ちょんの間では4畳(6.61m2)ほどの狭い部屋で、男性客が風俗嬢とセックスをすることができます。プレイ時間は15~20分ほどと短時間であることが多いです。
真栄原のちょんの間はほかの地域のちょんの間と異なり、「店に在籍していた女性の多くが日本人」、「格安料金でプレイを楽しめる」という2つの特徴がありました。
ほかの地域のちょんの間は、外国人女性がサービスを行ってくれる店が多いです。また、日本人女性がプレイしてくれるとしても料金が高いことが多いです。
ほかの地域では15分で1万円前後が相場なのに対して、真栄原にあったちょんの間のプレイ料金は15分で5,000円ほどが相場でした。
破格で日本人女性とプレイをすることができたことから、真栄原は沖縄を訪れる男性に大人気となったのです。
ちょんの間が有名な風俗街として、大阪の「飛田新地」があります。容姿がきれいな女性ばかりが揃っていて、15分11,000円が相場となっています。
真栄原の女性の見た目は飛田新地に劣る可能性はありましたが、「十分満足できるルックスで15分5,000円なら、飛田新地より真栄原のほうが良い」と考える男性は多くいました。
真栄原社交街(新町)のちょんの間の特徴・内容
真栄原のちょんの間は、平屋建ての建物で営業されていることが多くありました。ほかの地域のちょんの間は、2階建ての建物で営業されていることが多いです。
この場合1階が受付となっており、男性客は料金を支払い、2階で女性とプレイを行います。
しかし、真栄原のちょんの間はプレハブのような建物で、店の奥にある狭い部屋でプレイを行います。
また、多くの男性客がいたころの真栄原のちょんの間は、夜の遅い時間帯に開店するのが一般的でした。23時から営業を始める店が多く、深夜0時でも店を訪れる男性はたくさんいました。ただし、中には昼間の14時などから営業している店もありました。
真栄原のちょんの間で働いていたのは、ほとんどが日本人女性でした。その多くは若い女性であったため、男性客は真栄原の質の高さと料金の安さに驚きました。
男性客でにぎわっていた当時は、「真栄原で外国人女性が働いているのを見たことがない」と話す人が多くいました。
沖縄は本州よりも賃金が低いことが問題となっています。仕事をしても生活をするのに十分な収入を得ることができず、日本人女性が風俗の仕事を始めることがよくあります。真栄原のちょんの間は、こうした女性にとって収入を得る場のひとつだったのです。
また、沖縄は開放的な雰囲気があるため、ちょんの間で働く女性に悲壮感はありませんでした。女性は明るく陽気に男性客に声をかけ、店でのプレイに誘っていました。
現在の真栄原社交街(新町)は廃墟と化している
大人気となっていた真栄原ですが、現在は営業されていたちょんの間は全て摘発されています。かつて営業されていた店の建物はそのまま残っており、真栄原はゴーストタウンと化しています。
かつてちょんの間があった場所は、現在は人通りがほとんどありません。
真栄原がゴーストタウン化してから訪れた人は、「別の世界かと思ってしまった」という感想を持つ人がいるほど、真栄原の様子は変わってしまったのです。現在の真栄原を訪れた人の中には、「人がいないものの、怖さを感じる」という人さえいます。
真栄原のちょんの間の摘発は、真栄原がある宜野湾市と沖縄県警が協力して行いました。周辺地域の風紀を改善するために「浄化作戦」として2010年に行われ、営業されていたちょんの間や風俗店は次々に摘発されました。
真栄原の周辺には住宅地や保育園などがあり、ちょんの間の壊滅によって風紀が改善されました。そして現在、廃墟だけが残されています。
かつての真栄原社交街(新町)の現状
それでは、現在の真栄原社交街(新町)はどのような状況になっているのでしょうか。沖縄で風俗遊びをした後、次の日の昼間にかつて真栄原社交街があった場所をついでに覗いてみることにしました。
このときはレンタカーではなく、バスで移動することにしました。かつては「新町入口」という名前でしたが、現在は「第二真栄原」というバス停の名前に変わっています。ちなみに、住所は「沖縄県宜野湾市真栄原2丁目」です。
バス停を降りて少し歩くと、かつて真栄原社交街(新町)があった場所へと続く坂道が表れます。この坂を登れば、以前は夜になると妖艶な雰囲気が漂っていた歓楽街がありました。
軽い坂を登りきったあと、そこにはボロボロの建物が立ち並ぶエリアに到着します。周囲の建物とは明らかに雰囲気が違うため、誰がみても「ここにかつての真栄原社交街(新町)があったのだ」と分かります。
また、電柱には「違法風俗店取締中」という文字があります。現在、風俗店はまったく営業されていませんが、横浜・黄金町を含めかつての風俗街にはこのような風俗街としての足跡が残されています。
少し足を経ち入れると、そこには異次元の世界が広がっていました。まったく手入れがされていない平屋が立ち並ぶエリアに入ります。
ただ、不思議なのは比較的新しい車が道路上に所狭しと並んでいることです。
道路を歩けば分かりますが、ほとんど人通りはありません。風俗街は壊滅されているため、男性客が夜遊びのために泊めた車ではありません。そのため地元住民による違法駐車なのかどうかは分かりませんが、なぜか車がたくさんあります。
中には、入居者の募集を出している建物もあります。事務所としても利用可能であり、駐車場も付いて値段も安いです。ただ、ちょんの間として利用していた建物であるため、バスやトイレは別です。
風俗街として栄えていたころ、多くの女性がこの物件へ入るために競争していたと考えられます。ただ、街自体が死んでしまったいま、どれだけ家賃を安くしても入居者が表れにくいのが現状でしょう。
中にはキレイに改装されている建物もあります。これであれば、事務所として利用できます。
しかし、キレイに改装されている建物はほとんどなく、基本は平屋のボロボロな状態の建物が並んでいます。人の気配はほとんどなく、たまに歩く人を見かける程度です。
ここでは、全盛期は100店舗以上の店が風俗店として営業されていました。多くの男性が5000円を握りしめ、那覇市から少し離れた交通が不便なこの地に出向いていました。また近くの普天間や嘉手納の米軍基地からも、同様に多くの軍人が訪れていたことでしょう。
値段は15分5000円、30分で1万円とされています。
なお、こうした風俗街に存在する店舗は浴場や飲食店として経営されています。日本では売春行為を禁止しているため、建て前として浴場や飲食店にしているのです。
例えばソープランドは特殊浴場と呼ばれ、「お風呂に入った男女がたまたま自由恋愛に発展してセックスを行った」という建て前になっています。
特殊飲食店も同様であり、ウェイトレスのお姉さんがお客様に飲食物を運んだところ、たままた自由恋愛になってエッチをしたということになります。
真栄原社交街(新町)はどうかというと、飲食店として経営されていました。これは、多くの建物に「食品衛生協会員之章」というステッカーが貼られていることからも分かります。
ただ、そのすぐ近くには「風俗営業」というステッカーもあり、かつてお金のやり取りによって男女が店の中でセックスをしていたことが容易にわかります。もちろん、18歳未満は入店することができませんでした。
それでは、建物の中はどのようになっているのでしょうか。多くの場合、建物はカーテンで閉められているので中が見えません。ただ、建物によってはカーテンのないことがあります。
そこから中を覗いてみると、やはり奥に続くようになっています。女性が男性を誘い、商談成立となった後は部屋の奥へと行き、男女がエッチをしていたのです。
それでは、すべての建物がこのように内装を含めてボロボロなのかというと、必ずしもそうではありません。外見はボロ屋であっても、建物を活用しているために中身はきちんとしている建物もあります。
また、たまに人の出入りのある建物もあります。例えば、以下の建物ではドアが開いており、中には人がいました。
ちなみに、街を撮影していると建物からおばさんが現れて「なんで写真を撮っているのだ!」と怒鳴られました。
かつての風俗街で昼間から写真を撮っている人がいたら、どう考えても興味本位で写真を撮っていることが分かります。そのため、「すみません」と平謝りして再び写真撮影を開始することにしました。
風俗街を歩いていると、普通の街ではみかけないものを発見することがあります。例えば、コンドームを売る自動販売機があったり、風俗求人のポスターが貼られてあったりします。
真栄原社交街(新町)ではどうかというと「小便禁止」の警告看板がありました。風俗遊びをする男性は酔ったついでに歓楽街を歩くため、壁に向かって立ち小便をする人は多かったのでしょう。
街の一角にある駐車場には、リラクゼーションスパの看板がかけられています。かつてはここにリラクゼーションスパがあり、下半身までスッキリすることができたのだと思われます。
なお、中には廃墟が立ち並ぶ建物の中でビジネスをしている店舗もあります。カフェを運営していたり、バイクのパーツショップとして活動していたりする店があるのです。
なぜ、そのような不思議な場所に店を構えたのかは謎ですが、かつては男性客による人通りが多かったと予想されます。
なお、街を歩いていると怖い車に乗った人たちが大音量を鳴らしながら走っていきました。
他には、真栄原社交街(新町)を取材している途中でパトカーのサイレン音が鳴り響きました。何があったのか見てみると、近くにパトカーがとまって警察官2人がとある建物の中に入っている途中でした。
街自体には人がほとんどいないにも関わらず、こうした物々しさはまだ残っています。
前述の通り、真栄原社交街(新町)は2010年に終わりを告げました。風俗街として多くの男性客でにぎわっていた町は、警察の手によって壊滅させられたのです。そして、ここまで記してきた通り町はゴーストタウンになっています。
なお、この町まで出向いてみて感じたこととしては、「この周辺には特筆すべき観光産業が何もない」ということです。実際、宜野湾市と聞いて何が思い浮かぶでしょうか。米軍(普天間)基地だけでしょうか。
沖縄には多くの見所があります。那覇市の国際通りや首里城に限らず、世界遺産の「斎場御嶽(せーふぁうたき)」、ダイビングスポットで知られる真栄田岬の「青の洞窟」、多くの家族が訪れる「美ら海水族館」、絶景が広がる「古宇利島」など、挙げればキリがありません。
ただ、失礼を承知で申し上げますと宜野湾市にはそうした観光資源がほとんどありません。那覇市からも微妙に離れており、わざわざこの地に出向いて観光しようという人は少ないのです。
真栄原社交街(新町)が存在していたとき、ここでは毎日多くのお金が動いていました。そうした中、浄化作戦によって人の流れと共にお金の流れも止まることになります。
「浄化作戦」といえば聞こえはいいですが、要は街を潰しただけです。浄化して人の気配がなくなったあと、どのように再建するのかについては完全なるノープランです。
特別な観光資源がある街ではなく、横浜市・小金町のように都心から近くて立地条件が良いわけでもないため、この街がかつてのように賑わいを取り戻して復興することは難しいでしょう。
ちなみに、現在では真栄原社交街(新町)は壊滅しているため、沖縄で風俗遊びをする場合は那覇市が基本になります。那覇市にはキャバクラ(泡盛飲み放題)やソープランドが立ち並ぶエリアがあるため、現在ではそこで夜遊びをするのが基本になっています。