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風俗業界は常に政府からの監視がある業界です。風俗街がにぎわうと、周辺地域の風紀が乱れる可能性がありました。そのため政府は、さまざまな形で風俗業界に規制をかけてきました。

ここでは江戸時代(1603~1868年)から現代に至るまでの、風俗業界に対する規制や法律について紹介します。

江戸時代に設けられていた公娼制度(こうしょうせいど)

江戸時代に風俗業界に設けられていた制度が「公娼制度(こうしょうせいど)」です。公娼とは「政府に認められた娼婦(しょうふ:風俗嬢のこと)」を指します。これに対して政府に認められていない娼婦は私娼(ししょう)と呼ばれました。

江戸時代、政府は風俗店を営業できる場所を定めていました。政府が指定した風俗街を「遊郭(ゆうかく)」と呼びました。江戸時代の中心的な都市は、現在の東京にあたる「江戸」です。江戸で政府に認められていた遊郭は、今でも人気の風俗街として知られる「吉原」でした。

また、江戸には「準公娼(じゅんこうしょう)」として、ほかにも4つの風俗街が政府公認となっていました。準公娼として認められていたのは品川・新宿・千住・板橋の4カ所です。これらは「宿場(しゅくば)」と呼ばれていました。上記の4カ所には旅人が宿泊する施設が多くあったためです。

政府が公娼制度を設けたのは、「風俗店を管理しやすくするため」でした。政府は決められた区域でしか風俗店の営業を許可しないことで、ほかの地域の風俗店を摘発することができます。そして、周辺地域の治安悪化や風紀の乱れを防ぐことができたのです。

公娼制度は明治時代(1868~1912年)から昭和時代まで続きました。

公娼制度が廃止され、「赤線地帯」が誕生した

長く続いた公娼制度ですが、戦後の1946年に廃止されることになりました。第二次世界大戦(1939~1945年)のあと、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)により日本の民主化が進められました。その一環として公娼制度も廃止されることになりました。

ただ、政府は公娼制度を廃止することで、世間の風紀に乱れが生じることを気にしました。公娼制度が廃止されると、風俗店はどこでも営業できるようになってしまいます。各地に風俗街が形成されることで、治安の悪化が予想されたのです。

そのため政府は、公娼制度で遊郭として指定されていた地域を中心として、特定地域に限り売春を行う風俗店を許可しました。こうして決められた区域を「赤線地帯」もしくは「赤線」と呼びます。当時の警察は、風俗店の営業許可区域を赤い線で囲っていました。赤線の名称はこのことに由来しています。

また、赤線地帯で営業された風俗店は警察に「特殊飲食店」として扱われました。

非合法な売春地域であった「青線地帯」

赤線地帯と合わせて存在したのが「青線地帯」です。青線地帯は「非合法に営業されていた風俗店が集まっていた地域」のことを指します。

風俗店の営業は赤線地帯でしか認められていませんでした。しかし実際は、青線地帯でも違法ながら風俗店の営業が行われていました。

青線地帯の風俗店は、表向きは飲食店として営業されていました。しかし、店の奥や2階などで女性とのセックスを行えるようになっていました。

ここで、青線にあった風俗店を警察が摘発することはありませんでした。その理由のひとつとして、「男性客が多数訪れており、周辺地域がにぎわっていたため」という理由があります。政府は「青線地帯の店を摘発することで、周辺地域がゴーストタウンになってしまうほうがマイナス」と考えたのです。

青線地帯は全国にありましたが、例として東京では、新宿区・武蔵野市・北品川・亀有などに存在しました。

売春防止法により、赤線・青線ともに廃止された

1946年に公娼制度が廃止され、赤線地帯・青線地帯が形成されました。さらに1958年(昭和33年)に施行されたのが「売春防止法」です。

売春防止法施行前の赤線地帯にあった風俗店では、売春が行われていました。つまり、現在は違法である「風俗店での風俗嬢とのセックス」は、当時は合法でした。

一方、当時議論されていた話題に「東京オリンピック」があります。日本は1954年に「1960年のオリンピック開催地」として立候補しました。しかしこのときはローマに敗れてしまいました。東京は1959年に再度、「1964年のオリンピック開催地」として立候補しました。

このときに東京は、オリンピック開催地として認められることになりました。

オリンピックを開催する都市には、世界各国からたくさんの人が訪れます。そのため売春が行われている風俗店が目立つと、「風紀が悪い」と世界から指摘される恐れがありました。

こうしたことから政府は1958年(昭和33年)に売春防止法を施行して、日本の風紀改善をしようと試みました。売春防止法が施行された背景には、東京オリンピックの開催があったのです

売春防止法は風俗店での売春禁止のほかにも、「街頭での売春勧誘」、「売春のための場所提供」、「売春行為の管理」などの行為も禁止としました。こうして、売春に関係するさまざまな行為が禁止となったのです。

売春防止法は1948年に「売春等処罰法案」として原案がまとめられました。しかしこのときは内容が厳しすぎるとして却下となり、1958年の正式公布に至りました。

売春防止法が施行されたことで、売春は完全に禁止されました。売春が認められていた赤線地帯、非合法に営業されていた青線地帯は廃止となりました。それまで売春を行っていた店は、フェラチオなどの「性的サービス」を提供する店に移行しました。売春防止法の施行後も売春を行っていた店は、警察によって摘発されました。

風俗業界に関わる法規制は、このように変化してきました。公娼制度から赤線・青線、さらに売春防止法と、風俗業界はさまざまな規制の中で業態を変化させてきたのです。

 

 

ちなみに売春防止法は1958年に施行されましたが、東京都の小笠原諸島と沖縄はアメリカが管理していたため、適用の範囲外となっていました。しかし小笠原諸島は1968年に施行、沖縄は1970年に一部が施行され、1972年に沖縄が日本に返還された際に完全施行となりました。

売春防止法は風俗店が多様化するきっかけになった

売春防止法が施行されたことによって、それまで赤線地帯で売春を行っていた風俗店はセックスをサービスとして提供することができなくなりました。

また、東京オリンピック開催にあたり、警察は違法な飲食店を厳しく取り締まりました。こうして、赤線地帯で売春を行っていた店やその他の地域で違法営業をしていた店は、ほとんど摘発されてしまいました。

1964年の東京オリンピックが終了後は、風俗店の業態に変化が生じました。このころから、現代のソープランドの前身にあたる「トルコ風呂」や、他にも「ピンサロ」、「ヘルス」などのサービスが登場しました。こうした新しく登場した風俗店を「ニュー風俗」と呼ぶことがありました。

ニュー風俗の風俗店では、風俗嬢はセックスを行わず、手コキやフェラチオで男性器に刺激を与えて興奮に導く性的サービスが基本でした。

男性の性癖は人によってさまざまです。プレイ内容はセックスではなかったものの、ニュー風俗のサービスに男性客は夢中になりました。

1980年代に入ると、さらにさまざまな風俗店が展開されるようになりました。店のスタッフが下着を履いていない「ノーパン喫茶」、女性と電話でエッチな会話を楽しむ「テレフォンクラブ(テレクラ)」、愛人を持ちたい男性と愛人になりたい女性を仲介する「愛人バンク」など、数多くの店が登場しました。

そして現在でもメイド姿の女性が接客をしてくれる「メイド喫茶」や女性とデートを楽しむことができる「デートサービス」など、よりライトな感覚で楽しめる店も登場しています。

これらは全て売春防止法がきっかけとなって生まれた店です。売春防止法は結果として「風俗店の多様化」をもたらしたのです。

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