日本の風俗

京都に存在した花街・五条楽園の遊郭

現在は風俗街として営業はされていないものの、かつて多くの風俗店が軒を連ねていた場所が京都にあります。

京都といえば、多くの世界遺産が存在して観光客が押し寄せる都市です。古い町並みが現在でも残っており、観光客を魅了します。京都に存在した風俗店も同様に、風情ある建物です。現在よくある風俗店のように、ピンクのネオン看板を掲げていたわけではありません。

そうした京都の花街の中でも、京都最大と呼ばれていた場所が五条楽園です。いまは風俗街としては壊滅した五条楽園ですが、そこには古い町並みが残されています。

かつての赤線地帯、五条楽園

京都には楽園がありました。その名も五条楽園です。「地名+楽園」という名前がある場合、その多くが歓楽街だと考えて問題ありません。なお、五条楽園は正式な地名ではありません。

五条楽園は赤線地帯として、風俗営業されていました。赤線とは、日本でかつて売春が公認されていた地域を指します。

他の風俗店と異なる点として、五条楽園の風俗店はお茶屋として運営されていました。日本では本番行為(セックスの提供)が禁止されているため、建前上はお茶屋にしていたのです。五条楽園のお茶屋は、ちょんの間と同じような形式になります。

ちょんの間とは、狭い部屋で短時間でのセックスを提供するスタイルのことを指します。男性が女性を指名した後、30分や40分などの時間で風俗嬢とセックスすることができます。

同じようにセックスをサービスとして提供する風俗店として、ソープランドがあります。ただ、ソープランドとは違ってちょんの間ではマットプレイなどのサービスはなく、単に女性と一緒の部屋に入ってすぐに挿入し、セックスをして射精する内容になっています。

大阪には飛田新地という、巨大なちょんの間街があります。ここと同じようなスタイルで五条楽園が存在していました。

五条楽園で遊ぶときのシステム

それでは、男性たちは五条楽園でどのような遊び方をしていたのでしょうか。

男性が五条楽園にあるお茶屋に入店し部屋に入ると、おかみさんが料理を提供します。料理とはいっても、おしぼりやお茶などが運ばれる簡単なものです。

その後、おかみさんに好みの女性を聞かれます。そうしたら、おかみさんが相手してくれる女性へ連絡し、数分後に男性のいる部屋に女性が入ってくることになります。

よくある風俗店のように、女性が店に在籍しているわけではありません。風俗嬢は置屋(クラブ)と呼ばれる「女性が待機するための建物」にいます。男性がお茶屋に入った後、おかみさんが置屋に連絡し、女性(風俗嬢)は置屋からお茶屋へと出向くのです。

お茶屋によって、契約している置屋が異なります。そのため、前回とは違う女性と遊びたい場合、異なるお茶屋で遊ぶと効率的でした。なお、五条楽園ではエッチの相手をしてくれる女性を芸妓と呼びます。

京都のお茶屋であるためか、女性は着物で来てくれます。独特の京都弁とおっとりした雰囲気、さらには着物姿により、それだけで男性は悩殺されていました。その後、男性は芸妓(風俗嬢)とのセックスを楽しんでいたのです。

京都の歴史あるお茶屋といえば、一見さんお断りです。ただ、五条楽園の地域に関しては歴史あるお茶屋であっても、風俗店であるため一見さん歓迎でした。

なお、五条楽園では「2日」「12日」「22日」など、2のつく日は休みでした。

五条楽園の発展から、壊滅までの経緯

京都にかつて存在した風俗街としては、島原遊郭が有名です。島原は風俗店だけでなく、歌舞伎など多くの芸を楽しめる街として発展していました。

ただ、島原は明治時代になって時代の流れについていけず、客足が遠のいて自然に消滅していきました。

島原は武家や富裕層を相手にしていたため、一般人はなかなか立ち寄ることのできない高級な風俗街でした。

その一方で五条楽園は一般人であっても気軽に立ち寄ることのできる風俗街です。そのため、時代の変化があっても五条楽園は繁栄し続けました。

ちなみに、当時は五条楽園ではなく七条新地という名称でした。1958年(昭和33年)に売春防止法が施行された後、七条新地から五条楽園へと名称を変えました。実際、かつてのお茶屋には「七条地域 暴力対策協議会協力員」という看板が残されています。

民家の中に風俗店が存在するという五条楽園ですが、お茶屋や置屋だけでなく五条楽園歌舞練場や旅館が存在するなど、かなり本格的な風俗街でした。

ただ、五条楽園の歴史は急に途切れるようになります。2010年(平成22年)の10月28日と11月18日の両日で、お茶屋・置屋の統括責任者や経営者が売春防止法違反容疑によって相次いで逮捕されました。

これを受け、お茶屋と置屋は一斉に休業するようになりました。その後、2011年には五条楽園にあったお茶屋組合も閉鎖され、その歴史が完全に閉じることになります。

しかし、当時使われていた建物は現在でも残っています。お茶屋に入って着物の女性と遊ぶことはできませんが、古い町並みの中にはかつての風俗施設がたたずんでいます。

現在の五条楽園の様子

それでは、壊滅して何年も経った五条楽園はどのようになっているのでしょうか。まず、かつての五条楽園は以下の場所にあります。

五条楽園へ行くときの最寄り駅としては、清水五条駅(きよみずごじょうえき)があります。京都駅から歩いていくには遠いため、電車を活用していくようにしましょう。

清水五条駅を降りた後、橋を渡る必要があります。橋から五条楽園に存在する建物を見ることができます。

そうして歩いて行くと、そこには京都の古い町並みが存在します。ただ、古い町並みとはいっても、かつて風俗施設として活用されていた建物です。

昔の遊郭(風俗店)では、風俗施設のことを妓楼(ぎろう)と呼んでいました。そうした妓楼が立ち並ぶ街であるため、風俗街とはいっても風情ある風景です。

ただ、江戸時代から存在する妓楼ではあっても、京都という町柄からか違和感はありません。風景の中に溶け込んでいます。

また、五条楽園では洋風のカフェー建築の建物が存在します。モザイクタイルの鮮やかな建物であり、これらは風俗施設として活用されていました。

こうした鮮やかなカフェー建築の建物はいくつも存在します。カフェー建築ではあるものの、お茶屋として運営されていたこともあります。

カフェー建築の中には、既に取り壊されてしまったものもあります。もったいないですが、壊滅した風俗街は時間の流れと共に姿を変えていきます。

実際、京都にある島原では数個の妓楼しか残されていません。これについては、五条楽園も同じです。

ただ、かつて存在して壊滅した風俗街の中でも、五条楽園は比較的新しいです。そのため、風俗店として営業していた建物がたくさん残されています。

街を散策すると、あらゆる場所にお茶屋を見つけることができます。昔はここでお茶屋のおかみさんが「おいでやす~」と声をかけていましたが、現在では玄関が閉められています。

妓楼とカフェーが立ち並ぶ五条楽園

このように五条楽園では妓楼とカフェー建築の建物が立ち並んでいますが、その中には大きな施設が存在します。

元遊郭ではないかと思われる、五条楽園で最も大きいお茶屋として本家三友があります。見たら一瞬でお茶屋だと分かるほど、厳かなたたずまいを残している大店です。

また、五条楽園には小さな川(高瀬川)が流れています。本家三友の隣に高瀬川があり、高瀬川からは妓楼とカフェー建築が織り交じり、緑が溢れる景色が広がっています。

前述の通り、五条楽園には歌舞練場がありました。かつては「五条楽園 歌舞練場」という看板がかけられていましたが、現在ではそのような看板は取り外されています。

以下の建物が五条楽園歌舞練場であり、ここで芸妓たちが三味線などの芸を磨いていました。

他にも大きな建物が残っており、思わず足を止めて見入ってしまいます。

全盛期には狭いエリアに130ほどのお茶屋、置屋、旅館が存在し、芸妓は100人ほど在籍していました。そのため、かなり大きな花街だったといえます。

ちょんの間街のお茶屋へ芸妓を呼んだあと、朝までお茶屋で飲み明かすわけにはいきません。

そこで、旅館へと場所を移し、芸妓たちと自由恋愛のもとでエッチしていました。お茶屋でもセックスは可能でしたが、旅館でも遊ぶことができたのです。

中には、昔の遊郭から転身して、一般的な旅館として経営されている建物もあります。本物の妓楼(遊郭)であるため、外国人観光客に人気の宿泊施設です。

誰でも泊まることができるため、事前に予約をすれば問題なくかつての遊郭の風情を堪能することができます。女性遊びはできませんが、古くからある施設を見学しながら楽しむことができます。

かつての遊郭では、このように昔の建物を活用してビジネスに活かしているケースがあります。ただ、その数は少なく多くは建物だけが残されており、人の気配がありません。

五条楽園には狭い道がいくつもあります。通りを入ると、そこには壁画があったり、かつてのカフェー建築の建物が存在していたりします。

一見すると一般的な民家のような建物であっても、玄関に「お茶屋」の看板があり、かつての風俗施設であることはよくあります。

五条楽園が風俗街として営業されていたころ、お茶屋は玄関が空いていました。玄関先には水槽や金魚鉢を置き、これが「営業中です」という意味でした。現在は水槽などは置かれておらず、玄関も閉まっていますが、昔は金魚鉢を目印に店へ入っていました。

なお、風俗街として栄えていた五条楽園ですが、実は多くの人にとって楽しめる場所ではありませんでした。

もちろん、一見さん歓迎のお茶屋なので誰でも受け入れてくれます。それにも関わらず、なぜ多くの人にとって不向きだったのでしょうか。

それは、五条楽園が熟女専門の風俗街だったことがあります。もちろん、かつて芸妓が100人ほどいて華やかだったときであれば、20代の若い女性がいたかもしれません。

ただ、五条楽園が壊滅される2010年のとき、五条楽園に20代の女性はおらず40代以上の熟女ばかりでした。若い女性であっても、30代であることは覚悟する必要があったのです。

風俗街に共通しますが、多くのケースで銭湯があります。五条楽園にも、同じように銭湯が運営されています。

五条楽園の場合、ちょんの間なのでシャワーがありませんでした。そのため、風俗遊びをする場合は先に銭湯に入り、汗を流した後にお茶屋へ出向く男性がたくさんいたのです。

五条楽園で働いていた女性は、歌舞練場を活用して実際に三味線などの練習をしていました。普通に考えて必要ない技術ですが、平成の時代になった後であっても風俗嬢たちは芸に磨きをかけていたのです。

このように現在では壊滅していますが、かつて京都の五条楽園では独自のシステムが存在し、2010年まで男性が風俗遊びを楽しむことができました。

一般的な風俗店とは異なるシステムであり、古めかしい建物でセックスを行うため、独特の世界観を味わうことができます。

いまではそうした夜遊びはできないものの、建物は残されています。時間の経過とともに建物は取り壊されていきますが、かつての花街の中でも、昔の遊郭が比較的多く現存している街が五条楽園です。

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