今でも世の中では、一定の女性が貧困に直面しています。それも、明日の食料にさえ困るほど深刻なものであり、一般的な人々が想像できる貧困とはわけが違います。
基本的に、日本社会は「高所得層」、「中所得層」、「低所得層」がピラミッド状に存在する構造となっています。ところが、低所得層の下に位置する女性は、一般の人からは見えづらいところに存在しており、救いの手を差し伸べることすら困難です。
こうした女性のことを、ルポライターである鈴木大介氏は「最貧困女子」と定義しました。多くの貧困女子は、売春をして何とか生活を送っていますが、最貧困女子の場合、それさえもままならないのが現状なのだといいます。
こうした女性は、一体どうして生まれてしまうのでしょうか。その原因として挙げられるのが、「3つの無縁」、そして「3つの障害」です。
3つの無縁
無縁とは、その名の通り「縁がないこと」を示しますが、縁なくして人間らしい生活を送ることはできません。
縁とは、社会とのつながり全般を意味するからです。家族と関わりを持つのも縁ですし、会社の人と一緒に仕事をするのも縁です。こうした縁というものは、一般社会を生きる人間であれば、誰しもが当たり前のように持つものです。
現代社会を生きる上で、最低限持つべき縁は「家族との縁」、「地域との縁」、そして「制度との縁」です。しかし、最貧困女子の場合、こうした基本的な縁さえ持っていないケースがあります。これらすべての縁を欠いている状態を「3つの無縁」と言い表します。
家族との無縁は、一番想像しやすいものです。人間であれば、誰でも母から生まれてくるため、家族との縁は必ず存在するはずです。
ただ、母に見捨てられたり、両親が誰かもわからない状態であったりすると、縁はないも同然です。家族との縁がないと、教育を受けることもままならず、将来への可能性は間違いなく狭まってしまいます。
地域との無縁とは、友達との無縁と言い換えることもできます。困ったときに相談ができたり、一緒にいるだけで楽しく時間を過ごすことができたりするのが友達です。ただ、そうした友達や、頼りにできる人が全くいない場合、精神・肉体ともにとても大きな影響を及ぼします。
最後の、制度との無縁は極めて深刻な無縁です。社会的弱者は本来、国が救護すべき存在です。ところが、救護対象が社会の中でとても見えづらい場所にいた場合、国も救護対象として認識できません。そうなると、制度との無縁に直面している人は、医療や生活保護などの救護策を全く受けることができず、結果として死に至ってしまうのです。
こうした、無縁にさいなまれている方が、最貧困女子になりやすい傾向にあります。しかし、この無縁の原因は、「3つの障害」に潜んでいる可能性が高いのです。
貧困のために売春をする女性の、幼少期における虐待
売春を続けざるを得ない女性は、幼少期に虐待を受けていた場合が多く、それが売春の直接的な原因になっているケースがあります。虐待といっても、性的虐待である場合もあれば、ネグレクト(育児放棄)である場合もあります。すなわち、虐待が売春の原因となる場合、虐待の種類は問わないのです。
それでは、実際に売春を生業として生活している女性が、幼少期から自立期にかけて、どのような虐待を受けていたのでしょうか。耳を覆いたくなるような内容ですが、今ある売春社会を理解する上で避けては通れない道であることも確かです。
Mさんは、まだ売春には足を踏み入れてはいないものの、いずれは売春をしなければならないほどの貧困に直面している女性です。
彼女は幼いころから、母から愛を注がれずに成長しました。ただ、父親は彼女に対して親としての情を持っており、父の会社の事務所は彼女の安らぎの場であったといいます。
ところが、ガンにより父が急死すると、家庭内の状況は一変しました。父は多くの負債を抱えている人物であり、多くの親戚から借金の返済を要求されるようになったのです。
母は、彼女に対し、「あなたが生まれたからお父さんと結婚したのに。こんなことになるのなら生まなければよかった」と心無い言葉を浴びせたそうです。
そこから彼女は家を出て、生活を送っていました。ただし、彼女の精神面はやつれきっており、まともな職に就くことさえもできなくなりました。いつしか彼女は、借りていたアパートの家賃も払えなくなり、結局「ネットカフェ難民」としての生活を余儀なくされたのです。すでに闇金にも手を付けており、売春に行きつくまでさほど時間はかからないでしょう。
彼女の境遇は、悲劇的です。実の母親から愛をまともに受けずに育ち、精神に異常をきたしました。愛情を全く注がずに子を育てるということも、れっきとした虐待なのです。
暴力と売春
中には、より悲劇的な虐待を受けた女性もいます。Sさんは、バツイチで2児の母ですが、出会い系サイトでの売春によって生計を立てています。
体中に、根性焼きの跡が生々しく残っているといいますが、それらはすべて実の母に押し付けられたものだといいます。
憎しみとともに養育をしていたのは、彼女の母親だけではありません。早い段階で離婚したという彼女の父親も、彼女を床下に閉じ込めるなどして、虐待を行っていたのだそうです。
彼女への虐待が発覚し、施設へと送られて両親とは離れ離れになったといいます。しかし、幼少期に受けた心の傷が、彼女に友達を作らせませんでした。彼女はどんどん内向的な性格へと歪んでいき、孤立したまま少女時代を終えたのだそうです。
以上の彼女たちは、今でこそ社会の最底辺で何とか生きながらえるような生活しかできませんが、生まれた境遇さえ異なれば、このような事態にはならなかったでしょう。
現在の貧困は、「本人の努力不足」では片づけられない状況です。不幸な生い立ちであったがために、彼女たちは人間的な生活を送れていません。社会福祉を考えていくにあたって、売春の世界に渦巻く心の闇というものは、これからより大きな論点となることでしょう。
3つの障害
次に、貧困の原因を生み出す3つの障害について確認していきます。
3つの障害とは「身体障害」、「知的障害」、「発展障害」のことを指します。障害についての議論は、とてもナイーブな部分を含む領域であるため、慎重な発言が必要となります。ただ、3つの無縁の原因が、ここに隠されている可能性は非常に高いでしょう。
意外なことかもしれませんが、障害の中でも比較的軽度な症状の女性が、3つの無縁に行きつくケースがほとんどです。仮に、その女性が重度の障害であった場合、周りはすぐに気づくことができます。ところが、軽度の障害であった場合、周りからも気が付かれにくく、「ちょっと変わった人」程度の認識を持たれてしまうだけで終わってしまうのです。
残念なことに、周りから気づいてもらえない障害は、救護の対象になりません。もちろん、適切な手順を踏めば、障害者手帳を持つことも可能ですが、それをするだけの能力は彼女たちにないのです。
こうした女性は、売春の場にいることが多いのですが、それでもまともな生活を送れないことがほとんどです。最貧困というものは、つらくとも現実にある問題です。貧困を「努力不足」と一蹴してしまうことは、とてもおろかなことなのです。
売春と知的障害
過去に、知的障害を持つ女性を働かせている風俗店が、人権団体によって批判の対象になったことがあります。確かに十分に自己判断ができない女性が、風俗で働いているというのは問題です。なぜならば、無理やり風俗で働かせたとなると、人権侵害にもつながりかねないからです。
しかし、もしこの女性を風俗店側が解雇してしまったら、これから彼女はどうやって生きていけばいいのでしょうか。重度の知的障害者でもない限り、何もしなくて生きていけるほどの補助は国からは出ません。症状によっては何も出してくれない可能性もあります。
そもそも、近年の風俗店は在籍する嬢のレベルも上がっており、熾烈な競争社会となっています。健常者であっても容姿の関係などで雇われないことが日常茶飯事の中、この知的障害者の女性は見事競争を勝ち抜いたという見方もできます。そうして築いた地位を「人権」の旗印で、いともたやすく破壊されたことは、彼女にとっては無念の極みであったはずです。
こうして、今まで風俗店で働いていた女性は身寄りもなく、ここで仕事も失ってしまうこととなります。しかしながら、風俗を批判した人権団体が、彼女を養うわけでもありません。
そうなると、風俗での仕事しかしてこなかったこの女性は、この先収入も不安定な売春に手を出すしかありません。地域と無縁(身寄りがなく、相談できる相手もいないこと)の状態である彼女が、自主的にほかの仕事をすることは困難です。
また、今まで彼女の営業活動は、すべて風俗店側が行ってくれました。ところが、個人での売春となると、マネジメントはすべて自分で行わなければなりません。彼女にとっては売春ですら、難しいこととなるのです。
公的補助を受けるための能力
ある程度の収入を得られない方は、生活保護を受けることができます。そのため、「売春などでその日暮らしをするくらいなら、そのような補助に頼ればいいじゃないか」と一般の人々は考えます。
しかし、軽度の知的障害を抱えている方や、義務教育もきちんと受けられなかった方などは、「手続きをする能力」すら持っていないケースがあるのです。
もちろん、読み書きができない方は少数かもしれません。ただ、そうした方の多くは、手続き特有のいわゆる「硬い文章」になると、何を意味しているのか全く理解できなくなってしまうのです。そのため、公的な補助自体を連鎖反応的に嫌がり、自分からは決して手を出せないのです。
もっとも、こうした事実を知らない一般の方が、彼女たちが頑なに補助を受けないことに疑問を持ってもおかしくありません。ただ、私たちが何気なくしている役所の手続きひとつであっても、彼女たちにとっては得難い「能力」なのです。
私たちが考える「貧困」と、本当の貧しさに直面している女性の「貧困」は、まったく異なります。世の中を理解するためには、まずこうした意識のギャップを埋めていく必要があると考えられます。
障害を持つ女性が歓楽街で生きていく方法
そんな歓楽街の見えにくい場所では、障害を抱えた女性が自身の身を売ることで生活しています。日本人の多くは、「障害者は国によって保護されるべき人々」と考えているでしょう。しかし、それは幻想に過ぎないのです。
一体、国に守ってもらえる障害者と、そうでない障害者にはどのような違いがあるのでしょうか。また、そうした女性は歓楽街で一体どのような生活を送っているのでしょうか。
援助される障害者とそうでない障害者
障害を抱える人には、国から障害者手帳が支給されます。症状によって等級は変化しますが、これが証明となり補助金の給付や各種料金の免除などの制度を受けることができます。
障害の重さにもよりますが、こうした手帳を手に入れる際、ほとんどの場合はその方の保護者などが手続きを行います。つまり、障害に対する補助を受けるためには、誰かからの手助けが必須となるのです。
しかし、若い頃に家出をして、全ての人と無縁の状態になってしまった場合、その女性に手助けをしてくれる人はいません。もちろん、住所不定だとそうした制度を受けることは難しくなり、売春などの限られた仕事で日々を過ごすしかありません。
つまり、国からの保護を受けることができる障害者は、極めて恵まれた状況にいるのです。一方で、家出をして歓楽街などで売春をしている女性など、その方以上につらい現実にさいなまれている障害者の方には、援助の手は差し伸べられません。
彼女たちの生活
中には、重度の知的障害を抱えながらも、売春によって生計を立てている方も存在します。そうした方は、昼間はカラオケ屋やネットカフェなどで過ごし、夜になると客を探して街を徘徊するというライフサイクルを送っています。
また、出会い系サイトを使うことができる女性であれば、これで援助交際の呼びかけをすることも珍しくはありません。
こうした女性は、正規の風俗店ではできないハードなプレイなどをしたがる男性に需要があるといいます。また、簡単な受け答えすらままならないほどの障害を抱えている女性の場合、男性の暴力のはけ口として扱われることもあると聞きます。
また、障害者を専門に扱う風俗店も存在します。その風俗店のスカウトマンは「彼女たちはいわゆる、3大NG現場(ハードSM、アナル、スカトロ)や、常人ではすぐに精神をきたしてしまう乱交などに重宝される」といいます。
「知的障害者でもおしゃれをしたいし、遊びたい」
障害を持つ方の就労先として、「ワークショップ」というものがあります。作業場で工芸品などを作り、労働によって金銭を稼ぐという方法です。
もちろん、歓楽街で身を売る障害者女性であっても参加することは可能です。ところが、ここに来た女性も、すぐに売春の現場に戻ってしまうことがほとんどだといいます。
なぜならば、ワークショップで稼げる小銭よりも、売春で得ることができる大金(彼女たちにとっては)の方がはるかに魅力的だからです。
ルポライターの鈴木大介氏は障害者の売春について取材した際、あるスカウトマンが語った「知的障害者の女の子だって、おしゃれをしたいし、遊びたい」という言葉に鈍い衝撃を受け、自問自答をせざるを得なかったといいます。
たしかに、彼女たちだって普通の生活を送りたいに決まっています。そのためには、作業所で働いても意味はなく、やはり売春をすることでしか生きていくことができないのです。
私たちは売春というもの軽々しく考えている傾向にあります。「女は男と違って、売る体があるからいいよな」と語る男性は、女性の体の価値をきちんと認識していません。そこでまずは、障害と売春という二重苦にさいなまれている女性が存在することを認識することから始めなければいけません。
生活保護を受けず、女性が売春を続ける理由
売春というものは、女性が生きていくための最後の手段と一般的に考えられています。実際、はじめから売春婦を将来の夢として思い描いている女性は皆無に等しいのではないでしょうか。
ただ、こうした売春がなくなることはありません。それは、売春をやめたくても続けてしまう女性が一定数存在するからです。こうした女性はさまざまな理由で、売春を続けてしまいますが、「彼女自身の精神性」や「社会からの目」などが主だった理由となっています。
恋愛依存体質
売春を生業とする女性の中には、幼少期に両親からの虐待を受けて育った方も少なからず存在します。そして、そうした生い立ちを持つ女性は、意外なことに親に対する執着心が強いのです。
しかし、親に通じなかった自身の思いは、やがて他の男性に向けられることになります。幼少期に得ることのできなかった「甘え」を、他の男性で埋め合わせようとするからです。
このようなことから、売春婦の多くは基本的に恋愛依存の状態にあります。彼女たちにとっては、相手をする男性は「客」ではなく、その場限りでも「パートナー」としての認識を持っているのです。
過去を話したくない
虐待など、壮絶な過去を持つ彼女たちですから、過去のことを話したがらないのも無理はありません。しかし、話したくないという理由から、受けられるはずの公的補助を、あえて受給しないというケースも多いのです。
貧困女性を救う市民団体などは、多くの女性構成員が在籍しています。ただ、売春を行っている貧困女性の多くは、女性のグループに対して強い苦手意識を持っており、接触さえ拒むといいます。
こうした傾向は、幼いころに同性からのいじめを受けた経験などが、間接的な要因となっているケースが多いです。
結局、彼女たちは過去を話したくないので、給付金ではなく、売春で得た金銭で生活を送ることとなります。すると、ギリギリながらも生活は継続できている状態になります。行政も、路上生活者などとは異なり、彼女やその家族を明らかな貧困状態ではないと判断してしまうため、彼女たちの実情は社会から完全に見えなくなってしまうのです。
世間の目を怖がる
近年、生活保護の不正受給などが問題化しています。本当に苦しんでいる人を救うためのお金を、娯楽に用いているのであれば、これは許すことのできない行為です。
ところが、この問題が上がってから世間では、「生活保護を受けている人はすべて、怠け者の悪人」という考えが広がっていくようになってしまったのです。もちろん、これは悪しき風潮です。不正受給は根絶すべきですが、本当に苦しんで生きている人の受給を妨げることは、むしろ悪です。
しかし、こうした風潮になってくると、生活保護を受ける対象である方々も、何かと受給を受けにくくなってきます。売春女性も、そうした世間の目を気にして、生活保護受給に踏み込めないという方が多くいます。
特に、シングルマザーとして売春を行っている方はその傾向が強いです。なぜならば、「学校で子供が生活保護を受給しているといじめられること」について、強い懸念を持っているからです。
また、すでに「バツイチ」、「子持ち」、「売春」という自身を悪くするステータスを持っている女性が、これにプラス「生活保護」というステータスだけは絶対に付けたくないといい張ることもあります。
もちろん、彼女たちだって自分の名誉は守りたいでしょうが、彼女たちの場合、名誉のために餓死してしまう可能性だって十分にあり得ます。ただ、「売春を続けること」と、「それから抜け出すための方法」とを、きちんと天秤にかける機会が彼女たちには与えられていないのです。