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江戸時代の吉原の風俗店である妓楼(ぎろう)に男性客が訪れて、遊女(ゆうじょ:現代でいう風俗嬢)とのプレイを楽しむまでにはさまざまな過程があります。現代の風俗店ではスムーズに女性とのプレイを楽しむことができますが、江戸時代の吉原は、女性とプレイをするまでには男性は段階を踏む必要がありました。

ここでは妓楼で男性がプレイをするまでの過程を紹介します。

初会(しょかい)・裏(うら)・馴染み(なじみ)

妓楼で男性客が遊女とプレイをするためには、何度か妓楼に足を運ぶ必要がありました。多くの場合、3回は通う必要があり、初回から3回目までを順に、初会(しょかい)・裏(うら)・馴染み(なじみ)と呼びました。

妓楼に向かうことを登楼(とうろう)といいます。初会の際には男性は緊張しているため、遊女と男性客の間にはまだ心理的な距離があります。遊女は妓楼で男性客と一緒に寝床に入ると煙草などを勧め、男性客の気持ちをほぐします。また、「表情がぎこちないよ」などの冷やかしなどを入れ、雰囲気を和ませようともします。

二回目は裏と呼ばれますが、「裏を返す」という言い方をすることもあります。二回目になると男性客は緊張がほぐれ、遊女に対して比較的余裕のある対応をする人が多くなります。遊女は積極的に男性客の着ている服の帯を解こうとします。

三回目の馴染みでは寝床で遊女と男性客は寄り添い、二人の関係の親密度も増しています。二人で手紙を読んだり、雑談をしたりして過ごします。馴染みの段階になると、二人は現代でいう「恋人のような雰囲気」になっていることが多いです。

寝床で遊女を待つ男性

男性客が妓楼で寝床に入ることを床入(とこいり)といいます。妓楼の男性スタッフである若い者(わかいもの)に案内され、プレイをする部屋に入ります。部屋は遊女が男性客の相手をする専用の部屋か、「廻し部屋(まわしべや)」と呼ばれる共有して使用される部屋のどちらかに通されます。

床入すると、若い者が寝床の周りを屏風で囲ってくれて、煙草やお茶を持ってきてくれます。こうして男性客は、休憩しながら遊女が来るのを待ちます。若い者は迎えの時刻を男性客に確認し、その場を離れます。

床急ぎ(とこいそぎ)

妓楼に男性客が到着すると、まずは宴を行うのが一般的です。音曲(音楽)や舞踊を楽しみながらお酒や食事などを楽しみ、男性客は気持ちよい気分になります。その後、遊女と二人の時間を過ごします。

しかし、男性客によってはお金に余裕がない人がいます。こうした人は宴を行わず、すぐに遊女と対面してプレイをしたがりました。これを「床急ぎ」といいました。また、お金に余裕がない男性だけでなく、「とにかくすぐに遊女とプレイしたい」という人も宴を行いませんでした。

妓楼は基本的にはお金をたくさん払ってくれる「宴を行う男性客」を優遇しました。しかし、宴を行わないお客様にも丁寧に対応しました。

妓楼には男性スタッフである「若い者(わかいもの)」や、妓楼の遊女の指導をしている「遣手(やりて)」という女性がいました。こうした人が男性客の意向を汲み取り、遊女の部屋や「廻し部屋(まわしべや)」という部屋に案内しました。廻し部屋は複数の遊女が共用で使っている部屋です。

男性客は「廻し(まわし)」という対応をされることがある

ただ、多くの場合、遊女はすぐに来ません。妓楼では「廻し(まわし)」というものが行われており、複数の男性客に1人の遊女を付けています。そのため、遊女がほかの男性客の相手をしていて、自分のもとになかなか来てくれないことがよくあるのです。

要は、「遊女に同じタイミングで複数の男性客をつけること」を指します。現代でいう「ダブルブッキング」です。廻しは妓楼が売上をより上げるために行われていました。同じ時間に複数の男性客を取れば、その分だけ売上は大きくなるためです。

しかし、遊女にとって廻しは非常に大変な労働でした。同じ時間で複数の男性客の寝床に行く必要があり、それぞれを平等に対応する必要がありました。廻しは多くの妓楼で行われており、明和五年(1768年)に発刊された「古今吉原大全(こきんよしわらだいぜん)」には、遊女の過酷な労働の実態が書かれています。

対応に疲れた遊女は、ときどき男性客を「ふる」ことがありました。これは、「少し待っていてくださいね」と男性客に声をかけて、そのまま戻ってこない行為です。

男性客は放っておかれることになり、せっかく妓楼を訪れたにも関わらず、一人で過ごすことになります。ただ、遊女と一夜を過ごすことができなかったとしても、決められた揚代(あげだい:妓楼の利用料金)を支払う必要がありました。

男性客は足音が大きくなってくるのが聞こえると、「ついに遊女が来た」と思います。しかし「遊女が入ったのは隣の部屋だった」というケースはよくありました。男性客は足音が聞こえるたびに、期待に胸をときめかせていたのです。

「もてた」と「ふられた」

廻しが行われた男性は「もてた」、「ふられた」という言い方をしました。廻しが行われた際に、遊女が自分の所に来てくれたときは「もてた」、戻ってこないときは「ふられた」という言い方をします。

男性客の中にはふられたときに「自分の魅力がほかの男性よりも劣っていた」と考える人がいました。しかし、一概にそうではないこともありました。妓楼が過剰な廻しを行ったことが原因で、遊女がどんな男性に対しても「ふる」行為をすることがありました。

男性客によっては、ふられたことで怒り出す人もいました。「女郎(じょろう:吉原で使われた遊女の別の呼び方)が来ない、どうなっているのか。もう帰るぞ」と言い出す人もいて、その際には若い者が男性客をなだめ、ほかの遊女に声をかけて「男性客のご機嫌取り」などの対応を依頼することもありました。

ふられた男性は、周囲の部屋から聞こえてくる「ほかの男性と遊女のプレイの音」や「女性の喘ぎ声」を一人で聞くことになりました。そのため、放っておかれるのは非常につらかったのです。

廻しは多く行われていたことから、落語の題材になることがありました。「五人まわし」という落語は、廻しでふられた男性を面白おかしく描いた作品です。

このように、妓楼ではプレイを急ぐ男性もいれば、待たされた上に遊女が戻ってこず、寂しい想いをする人もいました。基本的には男性客は妓楼で遊女とのプレイを楽しみますが、その様子は男性によってさまざまなのです。

遊女が全裸になるのは夏場だけ

男性客が床入りしてしばらくすると、廻しが終わった遊女がやってきます。江戸時代の当時の枕は高くなっており、男性客が寝ている枕の下から遊女が手を潜り込ませることができました。遊女がやってくると、枕の下から手を入れて、男性客の顔を遊女の顔に近づけてキスをすることが多くありました。

遊女は寝巻を着てやってきますが、実は全裸になることはあまりありませんでした。基本的には脱がずに男性客と接しますが、遊女も男性客に感情が高ぶることはあります。そのときには「あなただけ」という形で全裸になることがありました。

ただし、江戸時代は室内を暖める暖房器具がなかったため冬は非常に寒く、遊女が全裸になることは難しい気候でした。そのため、全裸になることがあるのは夏場だけでした。

妓楼(ぎろう)からの朝帰り

江戸時代の吉原の男性は、現代の風俗店のように店に行けばすぐにプレイできるという環境ではありませんでした。妓楼に通って遊女と関係を深め、ときには遊女に廻しでふられても耐えしのぐ必要がありました。さまざまな過程を経て、男性は遊女とのプレイに至ったのです。

このような吉原の風俗店である妓楼は、男性客が宿泊することができました。遊女とともに一夜を過ごし、翌朝に帰宅するのです。

妓楼から朝帰りをする流れ

妓楼で宿泊している男性客の多くは、朝早くに起きます。男性は夜明け前の時間帯である「明六ツ前(あけむつまえ)」には目を覚まし、妓楼を出ました。男性が目を覚ましそうになっているのを妓楼の男性スタッフである「若い者(わかいもの)」が気付くと、洗面道具を男性客に手渡しました。

洗面道具は「うがい茶碗」と呼ばれる洗顔と口をすすぐための容器と、歯ブラシの代わりになる房楊枝(ふさようじ)、さらに歯磨き粉でした。「房楊枝は使用したあと、二つに折っておく」のが男性客のマナーでした。

fusa 房楊枝(ふさようじ)

妓楼は二階建てになっており、遊女と男性客は2階で過ごすのが基本でした。朝になり、男性客が帰るときには、階段を降りるところまで、もしくは階段下まで遊女は男性客を見送ります。そして、「楽しかった。また来てね。次はいつ来るの?」というように声をかけました。さらに遊女は羽織(はおり:上着)をかけてあげたり、煙草を渡したりしました。

このようにして、男性客は妓楼をあとにします。吉原の出入り口である大門(おおもん)を出るとき、男性客は名残惜しい気持ちになることもありました。

引手茶屋(ひきてぢゃや)で朝食を取る場合

妓楼への行き方は2つあり、直接妓楼に向かう「直きづけ(じきづけ)」という方法と、引手茶屋(ひきてぢゃや)という「現代でいう風俗案内所」を通す方法がありました。引手茶屋を通して妓楼を利用した男性客は、帰りに引手茶屋に立ち寄りました。

朝に引手茶屋に入ると、引手茶屋の男性スタッフが朝食を出してくれました。多くの場合、卵ぞうすいや湯豆腐などでした。しかし、男性客によっては朝からお酒を求め、朝酒(あさざけ)をする人もいました。朝酒をすると時間がだらだらと過ぎていき、男性は太陽が高く上ったころに吉原を出ることもありました。

また、引手茶屋を通す場合、妓楼で遊んだ料金の支払いを引手茶屋で行います。「妓楼は男性客が遊び終わったあとで引手茶屋に料金を請求する仕組み」となっていました。

例えば、とある男性は妓楼での宴会の食事や遊女とのプレイで楽しく遊びました。翌日、引手茶屋に戻ると八両(はちりょう)ほどの金額を請求されました。大体のイメージとして「一両=10万円」であるため、80万円に相当する金額です。そこで楽しい気分から我に返る男性は多くいました。

妓楼に居続ける「居続け(いつづけ)」

妓楼はひと晩過ごしたら帰る人が多かったですが、中にはそのまま留まる人もいました。これを「居続け(いつづけ)」といいます。

遊女はなるべく男性客にお金を払ってほしいため、居続けを提案します。女性によってはできる限りの方法を尽くして居続けをさせようとする人もいました。そして、遊女と別れたくなくなった男性は、そのまま居続けをします。

遊女はそのままいてくれるため、男性と一緒に朝食を食べたり、1日をともに過ごしたりします。こうして過ごしていると恋人や夫婦のような気分になることが多く、3~4日も居続けをする男性客もいました。もちろんその間、揚代(あげだい:妓楼で遊ぶ料金)は膨れ上がっていきます。

男性客が結婚しておらず実家で暮らしている場合、居続けをして吉原から帰宅したときに両親に叱られたり、勘当されたりしてしまうケースがありました。男性客によっては妓楼で居続けをしたあと、家に帰宅しないことがありました。この男性客の両親は当然怒りましたが、「今は遊んでいても、いつかはまともになってくれる」というのが当時の社会通念となっていました。

なお、結婚した家庭の主人の場合は、当時は家庭内で主人の力が強かったため、夫婦喧嘩になることはあまりありませんでした。妓楼の朝の風景は現代の風俗店とは異なる面が多くありました。そこには江戸時代の風俗の文化を感じることができます。

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