性風俗の歴史

昭和時代に存在したさまざまな風俗店

現代ではさまざまな種類の風俗店が存在していますが、昭和の時代(1926~1989年)にも多種多様な風俗店がありました。昭和の時代は現代よりも規制が十分に整備されておらず、今主流になっている風俗店とは異なる種類の店がありました。

ここでは、昭和の時代に人気となった風俗店、さらには風俗店で行われるプレイの移り変わりについて紹介します。

昭和の人気風俗店

現在とは異なる形態の風俗店が昭和の時代では人気でした。例えば、以下のような店があります。

ダンサーが服を脱いで踊る「ストリップ劇場」

昭和の時代に人気となった店のひとつに「ストリップ劇場」があります。ストリップ劇場は、「女性ダンサーがステージで服を脱いで踊り、男性客を楽しませる店」を指します。

ストリップ劇場が始まったのは1948年(昭和23年)で、現在の東京都台東区浅草にあった「常盤座」という店が始まりです。ここで「日本初のストリップショー」が開催されました。

ただ、前年の1947年には、ストリップショーの前身(ぜんしん:前の形態)にあたるものが開催されました。現在の東京都新宿区にあった「帝都座」という劇場で、「名画アルバム」というイベントがありました。

名画アルバムでは、女性が乳房をさらけ出し、西洋の裸体画のようなポーズで男性へのショーを行っていました。名画アルバムでショーを行った女性は、甲斐美晴(かいみはる)という人でした。

名画アルバムでは女性はダンスをせず、静止したまま裸体を披露していました。これは「風俗店で裸のモデルが踊ることは、法律で許されていなかったため」でした。しかしその後規制緩和が行われ、翌年の1948年から営業された常盤座のストリップ劇場では女性が踊るようになりました。

また、名画アルバムや初期のストリップ劇場では、女性は陰部を扇などで隠していました。

しかし1970年代に入ると、いわゆる「全スト」と呼ばれる「女性が性器もさらけ出して全裸になるストリップ」が一般的になりました。

さらにストリップ劇場は女性同士がレズプレイを行う「レズビアンショー」や、SMプレイが繰り広げられる「SMショー」など、多彩なバリエーションも登場しました。

しかし2000年代に入ると、ストリップ劇場の人気は衰えました。人気が低下した理由として、「性的プレイを楽しめる安価な風俗店が増えたこと」が挙げられます。

また、「手軽に女性の裸を見ることができるアダルトビデオなどが豊富になったこと」も理由として考えられています。

昭和初期に街頭にいた風俗嬢「パンパン」

「パンパン」は第二次世界大戦(1939~1945年)の後、在日米国軍兵を相手として性行為を行った女性のことを指します。パンパンは街頭に立って客引きを行う「街娼(がいしょう)」でした。パンパンは日本人男性を対象とせず、あくまでも在日米国軍の兵士や将校をターゲットとして客引きを行いました。

パンパンという名称の由来ははっきりしていません。ただ、有力な説としてインドネシア語で女性を意味する「プロムパン」という言葉から、米国兵が名付けたと考えられています。

また、パンパンは「パンパン・ガール」や「洋パン」などとも呼ばれました。さらに、特定の上級将校と愛人契約を結び、売春を行っていたパンパンは「オンリー」や「オンリーさん」と呼ばれました。

ウエイトレスが下着を着用せずに接客してくれる「ノーパン喫茶」

また、昭和時代の日本には喫茶店が多くありました。その中で登場したのが「ノーパン喫茶」です。ノーパン喫茶では、上半身は乳房を出し、下着を着用せずにスカートを履いたウエイトレスが食事やドリンクを運んでくれます。

男性客はウエイトレスの女性に対してスカートをめくり上げたり、女性の下半身に触ったりしてプレイを楽しむことができました。

ノーパン喫茶のウエイトレスの姿はインパクトがあり、その評判は日本全国に急速に広がりました。そしてピーク時には東京で約200店舗、大阪で約140店舗が存在し、さらに地方都市でもブームとなりました。

また、ノーパン喫茶から派生したのが「ノーパンしゃぶしゃぶ」です。しゃぶしゃぶ料理店の女性スタッフが下着を着用せずに接客してくれる店でした。ノーパンしゃぶしゃぶの店は床が鏡張りとなっており、スカートの下をのぞきやすい内装になっていることがありました。

ノーパンしゃぶしゃぶは当時の大蔵省の官僚が接待の場として使用していたことがニュースとなりました。これをきっかけとして、世間に広く知られるようになりました。

愛人を持つことができる「愛人バンク」

愛人バンクは1982年に創業されたサービスです。「愛人を作りたい男性と愛人になりたい女性の仲介役を果たしたサービス」です。

愛人バンクは当時23歳の若手女性社長の筒見待子氏が創業し、話題となりました。サービス名は「夕ぐれ族」でした。夕ぐれ族では、入会金として男性は20万円、女性は10万円以下の費用が必要でした。しかし、料金を支払うと何度でも愛人を紹介してもらうことができました。

筒見待子社長は当時テレビでもひんぱんに取り上げられ、サービスはまたたく間に世間に知られるようになりました。会員数は創業から1年ほどで約5,000人に達しました。

しかし夕ぐれ族のサービスは、「売春をあっせんするサービスである」として問題視されるようになりました。さらに夕ぐれ族は入会金とは別に、相手となる男性や女性を紹介した際に3〜5万円の紹介料を会員から請求していました。

このため夕ぐれ族は、創業翌年の1983年には警察によって摘発されてしまいました。また、社長であった筒見待子氏は逮捕されました。

ただ、筒見待子氏はいわゆる「雇われ社長」で、実際の経営者は別にいました。この実質的な経営者はほかにもキャッチセールスなどの詐欺まがいのビジネスを行っており、筒見氏と一緒に逮捕されました。

当時目新しく、世間でも大きな話題となった愛人バンクは、すぐに消えてしまったのです。

風俗店で流行するプレイの移り変わり

このように、昭和の時代には現代とは異なるサービスが人気となっていました。ストリップ劇場は人気が低下し、ノーパン喫茶や愛人バンクでは現在はなくなりました。しかし、こうしたサービスが現代の風俗店の元になっているといえます。

なお、日本は海外から「風俗大国」という呼ばれ方をすることがあります。日本の風俗店のジャンルは海外と比べて非常に細分化されており、多岐にわたっているためです。

少し例を挙げてみると、ヘルス・デリヘル・キャバクラ・ソープランド・イメクラなど、本当に挙げたらきりがないほどの店が存在しています。

こうした多様な店が登場したのは、「プレイ内容の変化」が理由のひとつとして挙げられます。ここでは風俗店での流行のプレイがどのように変化してきたのかを紹介します。

売春禁止、風俗合法が細分化の理由

これほどまでに日本の風俗の細分化が進んだのは、もともと日本では「売春は違法であり、風俗は合法である」ためです。

売春は「対価を得ることを目的として性行為をする」ことです。風俗はここでは性風俗のことを指しますが、「性的なサービスを提供する」ことを意味します。

日本も戦後の時代の昭和33年(1958年)までは売春が合法でした。しかし、昭和33年に売春防止法という法律が完全施行され、本番行為(セックス)という「性行為を対価を得て行うこと」は禁止となりました。

ここから増え始めたのが、「性的」なサービスを提供する風俗店です。「非本番プレイ」という、本番行為以外のプレイをお客様に提供し、支持を得るようになりました。風俗店の人気はここから始まったのです。

フェラチオが人気になり、60年代にはさらに進化

戦後すぐに風俗店で人気となったプレイがフェラチオです。「男性器を女性に舐めてもらい、射精に導いてもらうプレイ」で、現在でも人気が高いプレイです。本番ではなくても気持ち良くなれるように、プレイは徐々に過激化していきました。

1960年代になると、さまざまなプレイが登場しました。喉の奥にまで男性器を入れてフェラチオを行う「ディープ・スロート」、2人でフェラチオを行う「Wフェラ」、さらに複数人の女性が10~15分おきに入れ替わってプレイしてくれる「花びら大回転」など、男性の性欲を満たすために、多くのバリエーションが生まれたのです。

さらに1970年代に入ると、「ファッションヘルス」が流行します。風俗嬢と男性客が個室でプレイを行う風俗店で、今でも一般的になっている風俗店の形態です。

ファッションヘルスで流行となったのが「素股プレイ」です。女性器を男性器にこすりつけるようにして刺激し、より本番に近いプレイを体験できます。個室になったことでよりプライベートな空間で女性とプレイを楽しむことができるようになり、プレイ内容がより本番に近いものになりました。

素股プレイは熟練度の高い風俗嬢になると「本番以上に気持ち良い」として多くの男性から評判になりました。風俗嬢の間ではスキルの高さが注目されるようになり、「マットテクニック」、「素股テクニック」などは特に重視されました。

1990年代に新たなる「M性感」プレイが登場

フェラチオや素股プレイは男性の性欲を満たすのに十分なプレイといえます。しかし、性欲は尽きることがありません。1990年代に入ると風俗店のプレイはさらに進化し、新たに「M性感」というジャンルのプレイが登場しました。Mはマゾのイニシャル(頭文字)で、名称の通り「マゾ気質を持つ男性の性欲を満たすプレイ」です。

それまでの時代は男性がリードする社会でした。しかし、徐々に女性の社会進出が一般的なものになり、社会での女性の強さが増してきました。2000年代に入ると「草食系男子」という言葉が話題になり、これもM気質を持つ男性の代表的な例です。

こうした時代の中で、「女性に甘えたい、癒されたい、リードされたい」という男性が増えてきました。M性感は「時代に即したサービス」なのです。

M性感では男性へのアナル責め、前立腺マッサージ、乳首責めなど、さまざまなプレイがあります。M性感プレイだけを楽しめる専門店も登場し、Mな男性に人気を博しています。

このように、風俗店は1960年代から増え始め、現在に至るまで時代とともに人気のプレイが変化してきました。海外の風俗店ではこのような細かなプレイはなく、日本の風俗店はガラパゴス的(孤立した環境での最適化)な独自の進化を遂げてきたのです。

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