日本の風俗

江戸時代から長い歴史を持つ風俗街である千葉「船橋」

東京は日本の中心で風俗街がたくさんありますが、東京に隣接する千葉県にも風俗街があります。その中でも長い歴史を誇っているのが「船橋」です。千葉県の中でも東京に近いところに位置する市で、風俗街としては江戸時代(1603~1868年)から歴史があります。

ここでは千葉県の船橋の風俗街としての歴史を紹介します。

江戸時代に宿場町として繁栄

船橋は江戸時代から多くの人でにぎわうようになりました。そのきっかけとなったのが、当時つくられた「東金御成街道(とうがねおなりかいどう)」という街道です。船橋と、同じく千葉にある東金を結ぶ37キロほどの道で、当時行われていた鷹狩りを目的として設置されました。

東金御成街道ができたことにより、街道の周辺には多くの店が建ち並ぶようになりました。道ゆく人が宿泊をすることがあり、とくに宿泊施設が多く建てられました。ここから船橋は「宿場(しゅくば)」として繁栄するようになりました。

船橋の宿では女性スタッフが勤務しており、女性は料理の提供などを行っていました。ただ、たくさんの宿があったため宿同士の競争が激化するようになりました。

ここから生まれたのが「宿に勤務する女性と性行為をすることができるサービス」です。男性は宿で宿泊するだけでなく、宿の女性とセックスをすることができたのです。

当時、宿場は船橋だけでなく江戸にもありました。宿場で宿のスタッフ兼風俗嬢として働いていた女性は、「飯盛女(めしもりおんな)」と呼ばれました。これは「女性が宿で食事を提供してくれて、性行為も行ってくれること」に由来した名前です。

ただ、船橋では飯盛女よりも「留女(とめおんな)」や「八兵衛(はちべえ)」と呼ばれることが多くありました。

船橋の宿の女性はセックスのことを「四べい(しべい)」といいました。「帰りにしべいか(帰る前にセックスをしませんか?)」のように使いました。

女性は「しべい、しべい」とよく言っており、八兵衛は「四べいが2つ重なってできた」という説が有力となっています。

また、留女の呼び方は、女性が男性客を「宿で宿泊やセックスをしてほしい」と引き止めたことに由来しています。

船橋は一度活気を失ったが、昭和時代に再建した

こうして江戸時代は多くの男性客でにぎわった船橋ですが、明治時代(1868~1912年)や大正時代(1912~1926年)になると、徐々に風俗店が少なくなりました。

明治時代以降、性行為を行う女性がいる店は「貸座敷(かしざしき)」と呼ばれるようになりました。大正時代に入ると船橋の貸座敷は4店ほどになり、船橋の風俗業は衰退していました。

こうした状況から千葉県は船橋の貸座敷をひとつの場所に集め、売春を認めることにしました。そしてできたのが「船橋新地」です。

船橋新地には、船橋出身の女性はあまり働いていませんでした。その代わりに働いていた女性の多くは、東北地方出身の女性でした。

当時、東北地方の人々は生活費に困り、娘を身売りに出す人がいました。身売りに出された女性が船橋の貸座敷に集められて働いていたのです。

船橋新地となってからは、明治・大正時代のように多くの男性客が船橋を訪れるようになりました。船橋新地の貸座敷の数は増え、ピーク時には約80軒にまで増えるようになりました。

ここで起きたのが1939~1945年の第二次世界大戦です。空襲によって東京は大きな損害を受けました。しかし船橋は比較的軽い損害のみにとどまり、船橋新地もそのままのにぎわいを維持しました。

政府は戦後、赤線地帯という「政府が許可する売春地域」を設けました。船橋新地は赤線地帯となり、そのまま営業が続けられました。日本の各地には、戦前と戦後で大きく状況が変わった遊郭(ゆうかく:風俗街のこと)がありました。しかし、船橋新地は大きな変化はなく、順調に成長を遂げました。

また、戦後は物資が足りなくなる地域が多くありました。船橋市は上記のように戦時中の損害が少なかったことから物資が豊富に残っていました。そのため、非合法に物資の取引を行う「闇市(やみいち)」の拠点となりました。

闇市がにぎわうとともに、船橋新地の風俗店もにぎわいました。船橋には1951年(昭和26年)の時点では約100軒の風俗店が建ち並んでいました。

昭和の名残りを残し、現在もにぎわう風俗街

船橋はこのように昭和時代にたくさんの男性客でにぎわいました。現在は昭和ほどの盛況ぶりはありませんが、周辺地域の男性客が訪れる風俗街となっています。

船橋には闇市が盛んだった流れから、違法に本番サービス(セックス)を提供する「裏風俗」の店がたくさんありました。しかし1990年代後半に行われた警察の摘発により、現在はヘルスやピンサロ、デリヘルなどが多くなっています。

このように船橋の風俗街は江戸時代からの長い歴史を持つ街です。風俗店が建ち並ぶ場所の周辺には、昭和時代に建てられたと思われる建物が残っています。こうした建物からは、当時の時代の雰囲気を感じることができます。

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