江戸時代から存在する由緒正しい風俗街として東京・吉原があります。吉原ではソープランドが数多く存在し、女性と本番行為(セックス)することができます。

吉原には毎日、多くの男性客が訪れます。ただ、近くに駅がなくへんぴな場所に位置するため、多くの人は無料送迎を活用します。そういう意味では、吉原の街をわざわざ徒歩で巡る人は多くありません。

吉原は非常に古い歴史をもちますが、建物自体は現在風の風俗施設で運営されています。ただ、そこには昔の名残がわずかに残されています。そこで、現在の吉原がどのようになっているのかについて確認していきます。

吉原への行き方

昔の遊郭(風俗施設)がたくさん存在した吉原へ行くためにはどのようにすればいいのでしょうか。

まず、吉原という住所はありません。吉原があるのは「東京都台東区千束」という住所です。最寄り駅としては三ノ輪駅(みのわえき)があるものの、徒歩で15~20分ほどかかってしまいます。

吉原へ行くとき、どの駅からも遠いと考えてください。

そのため、吉原へ出向いて町並みを見学するためには歩かなければいけません。または、タクシーを利用するようにしてください。

他には男性であれば、吉原にあるソープランドを利用することで、無料送迎してくれます。そこで、店に行くときは無料送迎してもらい、帰りは店の人に「徒歩で帰る」ことを伝えれば、吉原の街をゆっくり散策できます。実際、私が吉原の街並みを写真で撮ったとき、この方法を活用しました。

もちろん、ソープランドは非常に高額です。ただ、私の場合は女性と一線を交えた後に吉原の街並みを鑑賞し、歴史について学んでいたわけです。

以下の写真は吉原にある高級ソープランドで遊んだときの写真です。非常に美人なロリ顔の女性が相手をしてくれました。120分総額65,000円と非常に高額でしたが、何度もリピートで遊びに来ている男性は非常に多いと話してくれました。

こうしてお風呂で女体と共に汗を流した後、私は吉原の街を散策することにしました。

吉原では、昔の街並みはほとんど残っていない

昔の吉原を撮影した写真をみてみると、吉原には非常に立派な建物が存在していたことが分かります。こうした施設を妓楼(ぎろう)と呼び、江戸時代では多くの男性客が妓楼へ行って遊んでいました。

yoshiwara2吉原・遊郭の建物

京都であれば、上記のような立派な建物が現在でも残っています。文化遺産に指定され、実際の遊郭を見学できるのです。また、元遊郭が旅館へ転身していることもあり、この場合は遊郭に泊まることができます。

大阪・飛田新地でも昔の遊郭が現存しており、現在は料亭として運営されているので料理を楽しむことができます。

それでは吉原はどうかというと、残念ながらこうした昔の建物はほとんど残っていません。以下のような、現代風の風俗施設の建物がたくさん立ち並ぶようになっています。

ソープランドが立ち並ぶ街、吉原

吉原では、狭い区間にソープランドが数多く存在しています。店舗数は非常に多く、女性とエッチするためにたくさんの男性客が訪れています。私もそうした男性客の一人です。

どの風俗街でも共通しますが、キャッチの人による呼び込みは非常に激しいです。私が出向いたときもキャッチの人がしきりに声をかけてきました。「お兄さん、どこをお探しですか。もう店は決まっていますか。キョロキョロしていますけど案内しますよ」という具合です。

吉原では、敷地(建物)から出てキャッチ行為をしてはいけないというルールがあります。ただ、そうしたルールを無視して私の肩を叩いてくるキャッチの人もいました。

一般的な歓楽街であると、キャバクラやクラブ、ファッションヘルスなどさまざまな風俗施設があります。また、飲食店もたくさん存在します。

ただ、吉原は江戸時代から女性と本番行為(セックス)をする場所として発展してきました。そのため、吉原にキャバクラなどの施設はほとんどなく、ソープランドばかりが立ち並んでいます。

これはある意味当然であり、キャバクラを利用する客がわざわざ駅から遠い吉原まで出向くはずがありません。また、ソープランドのように一度に一人が総額30,000円以上使ってくれるのであれば無料送迎しますが、キャバクラのような店が無料送迎まですると採算が合わなくなります。

こうしたことから、歴史ある吉原はソープ街として栄えているのです。

車が一台通れるかどうかというような狭い路地裏であっても、ソープ店が存在します。こうした店にも、連日たくさんの男性客が訪れます。

街を歩けば分かりますが、歓楽街とはいっても人通りはほとんどありません。この日は土曜日であり、一般的な風俗街では多くの男性客がいます。

ただ、人の姿は少なくても大きな車が走っている姿はたくさん見かけます。男性客のほとんどが無料送迎を利用するため、人ではなくごつい車が走っているのです。

実際、私も吉原のソープランドを利用して無料送迎してもらったとき、以下のような車に乗って店まで案内してもらいました。これと同じような車が吉原では何台も走っており、さらには店の前に駐車しています。

店舗によっては、営業停止を食らっているソープランドもあります。店名は出せませんが、このソープランドは以前、非常に有名な店でした。

この店ではAV女優が多数在籍しており、「AV女優がいるということは、店の中でセックスを提供している可能性が高く管理売春をしている」という理論が成り立ち、警察から摘発されたのです。店の経営者が逮捕され、この事件についてはニュースにもなりました。

ソープランドは特殊浴場と呼ばれ、店内で本番行為(セックス)が行われていることは警察を含め誰でも知っています。そのため、ソープランドは常に摘発リスクがつきまといます。

摘発された店は「AV女優を在籍させていた」というだけであり、経営方法は他のソープランドと変わりません。ただ、それだけの理由で摘発対象となってしまうのです。

吉原の無料相談所は喫茶店になっている

風俗街といえば、必ずセットになって存在するものとして無料相談所があります。ただ、吉原には無料相談所という名前では店が存在しません。そうではなく、喫茶店になっています。

喫茶店とはいっても、実際の中身は無料相談所です。ただ、吉原では「○○喫茶」という名前の無料相談所になっているため、こうした仕組みになっていることを知らなければ無料相談所だと気づきにくいです。

なぜ、喫茶店になっているのかというと、吉原に存在した引手茶屋(ひきてぢゃや)の存在があります。

吉原で女遊びをするとき、現在のように直接店へ行くのではなく、まずは引手茶屋に立ち寄る必要がありました。引手茶屋へ花魁などの遊女を何度か呼び、その後に妓楼(風俗施設)へ行っていたのです。

こうした昔の名残が現在でも残っているため、喫茶店という名の無料案内所になっているのです。

男性であれば喫茶店の前を通るときに店の前に立っているキャッチの人から「無料案内所ですよ! どうですか」といわれるため、ここでようやく喫茶店が無料案内所だと気づきます。

ソープランドが立ち並ぶエリアではなく、その周辺に喫茶店が存在します。キャッチの人が立っていたり、外観や店名が一般的な喫茶店とは違っていたりするため、無料案内所であるかどうかはすぐに分かります。

吉原の玄関口である「吉原大門」

現在は存在しませんが、かつての吉原は周囲に囲いがありました。これは、吉原で働く遊女(風俗嬢)たちが逃げ出せないようにするためでした。

そこで、吉原では入口が一つだけ用意されており、これを吉原大門といいます。

かつての吉原大門が以下になるため、周囲の様子を含めかなり変わっていることが分かります。

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昔は吉原大門だけが唯一の入口であったため、当然ながら吉原大門の周りには多くの引手茶屋が存在していました。

これについては現在でも同じであり、吉原大門の周りには喫茶店という名の無料案内所がいくつか存在します。建物自体は新しいですが、いまでも江戸時代の名残を残しているのです。

なお、吉原大門へと続く道は不自然にカーブしています。これは、遊郭が立ち並ぶ吉原を外の世界と分けるためです。

曲がった道を進まなければ、吉原大門は見えてきません。吉原に行くためでなければ、遊郭施設が目に入らないように配慮されていたのです。

吉原の入り口には、柳の木が一本だけ植えられていました。この柳は現在でも残っており、「見返り柳(みかえりやなぎ)」という名前が付けられています。

吉原で遊んだ男性は帰らなければいけません。このとき、吉原大門を出て見返り柳のあるあたりで後ろを振り返ったことから、見返り柳といわれるようになりました。

樋口一葉の小説にも見返り柳が出てくるなど、非常に有名な柳です。ただ、柳が枯れるたびに植え替えられているため、当時の柳が残っているわけではありません。

吉原遊郭と共に発展した吉原神社

吉原には、パワースポットとしても知られる吉原神社があります。400年以上の歴史があり、吉原で働く女性(遊女)の幸せをずっと見守ってきた神社です。

境内は非常に狭く、すぐに一周できてしまいます。ただ、私以外にもここに多くの人が訪れて参拝していました。

また吉原神社の近くには、吉原弁財天もあります。かつて、吉原には池がいくつかありました。その中の一つとして、吉原神社の近くにいまは存在しない「弁天池」がありました。

大正12年(1923年)、関東大震災が起こります。このとき吉原では火災が起こりました。吉原は前述の通り周囲を囲われていたため、遊郭の中は逃げ場がありません。そこで、逃げ場を失った遊女たちは弁天池(吉原弁財天にある池)に飛び込みました。そうして、490人の遊女が溺死して犠牲になったとされています。

吉原弁財天には、関東大震災に関わるこうした悲しい歴史があったのです。なお、吉原神社と吉原弁財天は以下の場所にあります。

吉原の街並み

吉原ではソープランドや喫茶店がメインの建物ですが、他にも風俗街特有の風景が存在します。例えば、吉原の敷地内にはフォトスタジオが存在します。

男性がソープランドへ行く場合、事前にホームページを見たうえで女性を指名するのが一般的です。これはつまり、女性の写真うつりが良いほど指名されやすくなることを意味しています。

写真は非常に重要な要素の一つであるため、吉原の店舗で面接を受けて採用になった場合、すぐに写真を撮れるようにこうしたフォトスタジオがあるのです。

また、吉原内には女性をターゲットにしたビジネスホテルがいくつも存在します。ソープ嬢として働いている人の中には、家出をしているなど身元不明の女性もいます。そうしたとき、普通であれば不動産を借りてマンションに住むことはできません。

ただ、こうした風俗街では「保証人不要」「その日から入居できる」という女性専用マンスリーマンションがあります。

一般的なホテルであると、名前や住所を書かされます。ただ、住所のない女性の場合、普通のホテルにも泊まれません。ただ、風俗街では受け入れてくれるのです。

ソープランドで働けば、ホテル代は一瞬で稼げてしまいます。そのため、吉原で働けば寝泊りで困ることはなくなります。

吉原にはクリニックもあります。ただ、どのような診療科なのかみると、やけに婦人科が多いことに気が付きます。中には、「女性専門」としているクリニックもあります。

当然、これらのクリニックはどれも性感染症が専門です。吉原では本番行為(セックス)をサービスとして提供しているため、性感染症を気にする女性が多くなるのは当然だといえます。女性によっては生(コンドームなし)でセックスしている人がいるため、こうしたクリニックは必須の存在だといえます。

吉原のソープ店にしても、女性に対して月に1回ほどの性病検査を実施させています。そのため、こうしたクリニックは連日のように風俗嬢でにぎわいます。

江戸時代、性感染症の一つである梅毒で死亡する遊女がたくさんいました。そのため、性感染症と吉原には深いつながりがあります。

街には少ないながらもラブホテルがあります。風俗街でラブホテルといえば、デリヘルを呼ぶために存在します。または、居酒屋で素人女性と飲んだ後に連れ込むためにあります。

ただ、吉原に居酒屋はほとんどなく、デリヘルも少ないです。駅から遠く、アクセスは非常に悪いです。しかし、風俗街であるためデリヘルを含め一定数の需要があるのです。

歩いている男性が少ないとはいっても、少しはいます。ただ、当たり前ですがそれ以上に吉原を歩いている若い女性はいません。しかし、例外はあります。それは、店にこれから出勤しようとしているソープ嬢です。

吉原では、在籍している風俗嬢に対してタクシー代を渡し、店に来てもらいます。ただ、中には吉原の近くに宿を取っている人がいます。そうした女性の場合、歩いて店に通います。

私が吉原へ出向いたとき、以下のようなヒラヒラの服装をした若い女性が街を歩いていました。そしてこの女性は、ソープ店へ吸い込まれるように入っていきました。これから、出勤のようです。

なお、吉原にある門の近くをよく観察すると、吉原の敷地内では他の場所に比べて少し地面が盛り上がっていることがわかります。以下の写真のように、道路がこんもりしているのです。

吉原はもともと、いまの場所に存在したわけではありません。最初は日本橋の人形町にありました。ただ、日本橋が栄えてきたことで、街の中心部に遊郭があるのはマズいということになり、江戸時代にいまの場所へ移されました。

当時、この場所は吉原田圃と呼ばれており、田んぼが広がる地域に吉原遊郭が作られました。このとき、田んぼを埋め立てて周辺地区よりも地面が高くなったのですが、このときの名残がいまでも残っています。

吉原では昔の建物が多くは残っていないものの、このように江戸時代からの名残を感じることができます。もちろん、風俗街として女性とのエッチを存分に楽しむこともできます。

風俗街としても、歴史を知る街としても吉原は貴重です。吉原で女性遊びをするついでに、吉原を散策してその街並みを体験してみてください。

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