日本の風俗

沖縄の風俗と歓楽街「松山」・ソープ街「辻」の現状

沖縄は日本全国で見ても経済水準が低い県として知られています。経済の指標として、平均賃金・最低賃金・完全失業率・離婚率などがありますが、これら全てで沖縄は常に最悪に近い順位となっています。また、ワースト1となっている年も多くあります。

ほかの地域と同じく沖縄にも風俗店はありますが、こうした状況は沖縄の風俗事情にも影響があります。ここでは日本の中でも貧困地域である沖縄風俗の実態を紹介します。

経済的な理由から風俗嬢となる女性がほとんど

沖縄で風俗嬢の仕事をしている女性は、ほとんどが経済的な理由から仕事をしています。女性の中にはもともと昼間の仕事をしていた方は多いですが、「十分な収入を得ることができず、風俗の仕事を始めた」というケースは多いです。

平成26年度の厚生労働省のデータによると、全国の平均賃金(年収)は229.6万円です。沖縄はワースト1の227.7万円となっています。また、同じく厚生労働省の平成27年度のデータによると、最低賃金の全国平均は時給で798円なのに対し、沖縄は693円となっています。

沖縄を観光で訪れる方は多いですが、現地で実際に働く方の給料は非常に安いです。世帯での生活に必要な収入を十分に得ることができず、家族総出で仕事をして、生活の足しにするのが一般的となっています。また、働ける仕事があったとしても、給料が十分な額でないことから風俗を選択する女性が比較的多いのです。

風俗店の種類によってヒエラルキー(階級)が存在

風俗店には種類があります。沖縄にもほかの地域と同じように、デリヘルやソープランド、キャバクラなどがあります。沖縄では、風俗店によって上位から下位までのヒエラルキー(階級)が存在しています。

階級は上から順にキャバクラ・デリヘル・ソープランド・ピンサロ・ちょんの間となっています。ちょんの間とは、小さめの個室で本番行為(セックス)を行う店のことを指します。

主に女性のルックスや年齢によって、女性がどの階級で働くことができるかが決まります。キャバクラで働ける女性の場合、その下のデリヘルやソープランドなどで仕事をすることは基本的にありません。

また、風俗の仕事を長く続けるほど女性のルックスは低下する傾向にあります。そのため、階級もそれに合わせて下がることが多いです。

ただ、どの階級に属している女性であっても、風俗の仕事をする女性に偏見を持つ沖縄県民は多いです。風俗の仕事を始める女性は高校を中退した方や不良だった方が多いからです。

沖縄ではかつては宜野湾市真栄原という地域にちょんの間が多数あり、人気を博していました。しかし警察による摘発により多くの店が消えて、那覇市にある「松山」が風俗街として栄えるようになりました。

違法な店が多い傾向にある

沖縄の風俗店は違法な店が多いです。風営法(風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律)という、国で定められた法律がありますが、風俗店の営業時間は午前0時までと定められています。しかし、ソープランドやピンサロなど、多くの風俗店が法律に従わず朝まで営業しています。

さらに、未成年の女性が風俗嬢として在籍している店もあります。現役高校生や高校中退の女性だけでなく、中には母親が中学生の娘を風俗店に入れようとするケースさえあります。経済的に困窮している家庭ではこのような事態が起こっており、沖縄の問題のひとつとなっています。

また、こうした状況は沖縄だけに限らない可能性があります。日本全体で格差が広がっており、「沖縄の風俗事情は日本の未来を表している」と考える方は多いです。ほかの地域でも沖縄のような状況になる可能性があるのです。

以上のように沖縄は経済水準が低いことから、風俗事情も特殊なものとなっています。風俗店は男性の性欲を満たしてくれるサービスではありますが、沖縄風俗の裏側には、複雑な事情があるのです。

ただ、もちろん沖縄の風俗店の女性たちは、サービスのときに男性客に対して悲壮感を感じさせることはありません。そのため沖縄を訪れる予定がある方は、現地の風俗店を利用するときに普通に楽しむだけで問題ないです。

沖縄の県庁所在地、那覇市にあるソープ街「辻」

それでは、沖縄にはどのような風俗街が存在するのでしょうか。

沖縄の主な風俗街として「辻(つじ)」があります。辻は現在の那覇市の辻1~3丁目にあたる地域で、とくに2丁目はソープランドやラブホテル街が多数建ち並び、風俗遊びをしたい男性客が訪れています。

辻の歴史は江戸時代から始まった

辻の歴史は1672年から始まりました。そのころ沖縄は琉球王国と呼ばれており、政治を担っていたのは羽地朝秀(はねじ ちょうしゅう)という人物でした。羽地氏は各地にいた教養や芸を身につけていた女性を集めて、辻に遊郭(ゆうかく:風俗街のこと)を作りました。

こうした教養や芸を身に付けた女性は沖縄で「ジュリ(尾類)」と呼ばれていました。

辻は「政府公認の風俗街」として設置されました。その目的は、「周辺地域の風紀改善」と「琉球王国で起きていた性犯罪を防止するため」でした。

ジュリは男性客と店で性行為を行いましたが、そのほかにも宴で芸を披露したり、舞を踊ったりすることがありました。

東京の有名な遊郭「吉原」にいた遊女(ゆうじょ:風俗嬢のこと)も、教養や芸を身につけていました。ジュリは吉原の遊女と似た歴史があるのです。

ジュリになる女性は、違法行為である人身売買によって集められました。貧しくて生活に困っている家庭は子供である少女を身売りに出し、生活のやり繰りをしていたのです。こうした少女がジュリになりました。また、違法に人身売買を行う人を「辻売り(チージウイ)」と呼びました。

辻の風俗街はたくさんの男性客でにぎわい、その盛況ぶりは明治時代(1868~1912年)に入っても続きました。

太平洋戦争によって、辻遊郭は焼失

明治時代に入ると、明治維新という改革が行われました。1879年(明治12年)には「廃藩置県(はいはんちけん)」と「琉球処分(りゅうきゅうしょぶん)」という2つの制度が設けられました。

廃藩置県は日本の各地にあった小さな国である「藩」を廃止し、新たに「県」を置くという制度です。また、琉球処分は琉球王国を廃止し、廃藩置県にしたがって「沖縄県」とするものでした。

琉球王国から沖縄県になるという変化がありながらも、辻は安定した人気を誇りました。明治時代に入ると一般庶民の経済力が増し、よりたくさんの男性客が辻を訪れるようになりました。

毎年1月20日は「二十日正月(はつかしょうがつ)」と呼ばれ、「正月の終りであり、節目の日」として沖縄ではお祝いが行われていました。辻では「ジュリ馬行列」という祭りが開催され、ジュリが行列を作って辻の街を歩きました。

ジュリ馬行列は現在も行われており、沖縄の行事として人気となっています。

辻はこうしてにぎわいましたが、それにともなって性病も増えました。そのため、風俗店での性病検査が義務化されました。

また、1908年には辻と同じ那覇にあった仲島(なかしま)、渡地(わたんじ)の遊郭が合併されることになりました。辻はさらに大規模な遊郭となり、政財界人も訪れる街となりました。

しかし1941年(昭和16年)に、「太平洋戦争」という大きな戦争が起きました。1944年(昭和19年)には沖縄県に空襲があり、辻も大きな損害を受けてしまいました。そして辻の遊郭は焼失してしまったのです。

太平洋戦争は第二次世界大戦という戦争に拡大し、1945年に終戦を迎えました。辻の風俗店で働いていた一部のジュリは、兵士の慰安婦(いあんふ:男性の性行為の相手をする女性)となりました。

戦後は復興してソープ街になった

戦後、辻の遊郭は焼失してしまいましたが、街が復興してくると、辻にはあらためて風俗店が営業されるようになりました。

沖縄には米軍基地が置かれ、各地に米軍兵士がたくさんいました。そのため、駐留している米軍兵士を相手として、「パンパン」と呼ばれる街娼(がいしょう:街頭に立って客引きをする風俗嬢)がたくさんいました。また、米軍兵の恋人になった女性は「ハニー」と呼ばれました。

このころは米軍兵士による周辺地域での性犯罪が多く、1950年代に入ると性病の取締りがあらためて強化されました。

また、性犯罪を防ぐために、周辺地域の人から「米兵が性欲を処理するための歓楽街が必要」として、辻の再興を希望する声が上がっていました。

そして1952年(昭和27年)、辻が再興されました。「松の下」という料亭が開業され、これに続いてさまざまな店が建てられるようになりました。1960年代に入ると辻は料亭のほかにバーやクラブが建ち並ぶ歓楽街として再生を遂げました。

日本の本土では1958年(昭和33年)に、「売春防止法」という法律が施行されました。これは「風俗店での売春行為を禁止する法律」でした。しかし本土復帰前の沖縄は1958年にはこの法律が施行されず、1970年に一部施行、1972年に完全施行となりました。沖縄ではそれまで売春が行われていたのです。

売春防止法が施行されたあとの辻では、表向きでの売春行為は行われなくなりました。

しかしそのころ人気に火がついていたソープランド(当時は「トルコ風呂」)では、本番行為(セックス)がサービスとして提供され始めていました。

辻ではもともと売春が行われていたことからソープランドがたくさん営業されるようになり、現在の辻にはソープ街が形成されています。

また、辻では一時期ステーキハウスが人気となりました。風俗店とステーキハウスを楽しめる街として観光客から評判となりましたが、現在はステーキハウスの人気は衰えて、風俗店が残るのみとなっています。

現在の辻は、昭和時代の名残が感じられる建物が建ち並んでいます。そして、その中に現在も営業されている風俗店があります。

辻は以前、たくさんの人でにぎわった街でした。しかし現在は比較的落ち着いた雰囲気となっています。

那覇市にある辻は、このような歴史を経て現在に至っています。辻の風俗街の歴史はほかの地域の風俗街とは異なる、沖縄特有の事情を感じることができるのです。

沖縄にはさまざまな風俗街が存在しており、それぞれ特殊な事情を抱えています。沖縄は日本の最貧困地域とはいわれているためか、風俗事情も異なってくるのです。

多くの男性客で賑わう歓楽街「松山」の現在

現在の沖縄で最も賑わっている歓楽街は、前述のように「松山」です。松山にはキャバクラやスナック、ガールズバーがたくさんあり、多くの男性客が訪れています。私は沖縄へ旅行をする機会があったため、松山に出向いてみました。

松山へは那覇空港から「ゆいレール」というモノレール鉄道に乗って向かうことができます。那覇空港から10分ほどで向かえる「県庁前駅」という駅で下車して、15分ほど北へ歩くと松山へ到着します。

ゆいレールの県庁前駅を挟んで南側には「国際通り」という観光客で賑わう大通りがあります。そして、県庁前駅の北側に松山がある構図となっています。一般の観光客で賑わう国際通りと男性観光客向けの松山は、ゆいレールによって隔てられています。

私は23時頃に松山へ出向きました。松山にあるほとんどの店は、22時頃から開店します。東京などでは20時や、もっと早い時間から営業を始める店が多いため、松山の店は営業開始が遅いといえます。また、翌朝6時頃まで営業している店がたくさんあり、本土の都市部とは店の営業時間が大きく異なっています。

松山には上記のように、キャバクラやガールズバーなどがたくさんあります。ただ、この他に大音量の音楽が流れており、お酒を楽しめる「クラブ」も営業されているため、若い女性が松山付近を歩いている姿を見かけました。

松山には「松山交差点」と呼ばれる大きな交差点があります。松山交差点の角には「無料案内所」があり、松山に入る際の目印となっています。初めて向かうときの参考にしてください。

松山は「沖縄最大の歓楽街」であるものの、実際に歩いてみると比較的狭い区画であることが分かります。20分ほど歩けば1周できてしまうような範囲に、たくさんの飲食店が営業されています。狭い範囲に店が密集しているため、客引きである「キャッチ」が非常に多いと感じました。

キャッチの男性はスーツを着ている人の他に、黒いジャージやスカジャン(派手な刺繍が施された上着)を着ている人がたくさんいました。

東京や大阪などの都市部では、キャッチの男性はスーツを着ていることが多いです。これに対して松山にいるキャッチの男性はさまざまな服装の人がいて、東京や大阪とは違った雰囲気を感じました。

例えば東京ではボッタクリにあう可能性が高いため、キャッチにはついていくべきではありません。しかし沖縄では、逆にキャッチに話しかけるほうが良いです。

沖縄のキャッチは良心的です。キャッチの紹介でキャバクラなどへ入店したときに、前もって提示された金額以上の料金を請求されることはありません。キャッチに店を紹介してもらうことで、男性客は安心して松山で夜遊びをすることができるのです。

松山には、上のような「ラウンジ」がたくさんあります。ラウンジでは高級感のある店内で、女性とお酒を飲むことができます。店に在籍している女性は当然ですが、沖縄在住です。

沖縄は各都道府県の中でも平均所得が低いです。そのため昼間の仕事で給料に不満を感じる女性が、松山で水商売の仕事をしています。つまり松山のキャバクラなどにいる女性は、「一般の女性(いわゆる素人)」に近い雰囲気があるといえます。

本州でキャバクラの仕事をする女性は、後ろめたい気持ちを抱いていたり、どうしてもお金が必要な事情があって働いていたりします。しかし沖縄では上記のように、比較的気軽にキャバクラで働く女性が多いです。

また、松山にあるキャバクラやクラブなどでは多くの場合、沖縄特産のお酒である「泡盛」が飲み放題となっています。泡盛は日本酒と同じくアルコール度数が高いですが、さっぱりとした味わいで飲みやすいです。

松山のキャバクラは60分2,000~3,000円が相場です。中には1時間5,000円などの高級店もありますが、東京や大阪など、本州にある都市部のキャバクラに比べると安い印象でした。また、気に入った女性の指名料は1,000円が相場です。

また、私が松山を訪れたときには、格安ガールズバーが60分2,000円で営業していました。松山にはこのように、安く楽しめる店がたくさんあります。

また、私は松山にあったクラブにも入店してみました。私が出向いたクラブは天井が高く、照明が凝っていました。流れている音楽は東京や大阪などのクラブと変わりませんでした。しかしナンパをすると、沖縄の女性と会話を交わすことができました。

私がクラブを訪れたのは土曜日で、午前0時を過ぎていました。土曜日のクラブは場合によって、たくさんの人で混み合って身動きをとれないことがあります。しかし私が訪れたクラブは賑わっていたものの、比較的自由に動くことができました。

翌日の早朝にも、私は松山を通ってみました。朝の松山には夜のような賑わいはなく、静まり返っていました。

松山の周辺には中学校や高校、保育園などの学校があります。そのため朝の松山周辺は、学生が通学していました。学校のすぐ近くに沖縄最大級の歓楽街があることに、私は驚きました。しかし昼間の松山には夜のような「歓楽街特有の雰囲気」がないため、学生でも通学することができるのだと思います。

松山はこのように、沖縄の歓楽街として夜に賑わっていました。沖縄でキャバクラやガールズバーを楽しみたいのであれば、足を運んでみることをお勧めします。

ソープ街「辻」の現在

松山の近くには、前述したソープ街の「辻」があります。松山から辻は、徒歩で向かうことができます。

松山は女性とお酒や会話を楽しめる、いわゆる「水商売」の店が多いです。一方で女性とのエッチを楽しみたいのであれば、辻へ向かうと良いです。また、松山は夜から賑わうため、まずは辻へ向かい、その後に松山へ行くこともお勧めです。

辻の最寄駅は松山と同じく、ゆいレールの「県庁前駅」です。県庁前駅から西に1kmほど歩くと、辻のソープ街に到着します。

私は松山で遊んだ日とは別の日に、辻へ足を運んでみました。

辻のソープ街周辺は、住宅街が広がっています。辻の周辺では古びた建物をたくさん見かけることができ、昭和時代の雰囲気が感じられます。大通り沿いには、周辺住民が利用している薬局や飲食店などがありました。

しばらく歩いていると、「料亭」として営業されている店を見つけました。インターネットでこの店の公式ページを見てみると、現在は料理を提供する飲食店として営業されているようでした。

風俗の歴史において料亭は、単純に料理を食べるだけの場所ではなく、女性とエッチを楽しめる場所でした。この店もかつては男性客と、前述した「ジュリ」との性行為が行われていたと考えられます。

開店時間前だったので店はシャッターが閉められていたものの、店先にポスターが貼られていました。かつてのジュリは、上のような格好をしていたことが分かります。赤や黄色を基調とした服装で、沖縄らしい明るさが感じられます。

大通りから辻の中へ入っていくと、ソープランドの無料案内所があります。辻にはこのような案内所が至るところにあります。案内所が入っている建物も、古さが感じられます。私が辻へ行ったのは早朝であったため、周囲は静まり返っていました。

上記のような「外観が朱色に塗られた、沖縄らしさが感じられる建物」もあります。この建物でも無料案内所が営業されていました。

辻の中へ入っていくと、たくさんのソープランドを見かけるようになります。ソープランドの建物は古さが感じられるものの、看板は比較的綺麗に保たれていました。現在でも辻のソープ街は賑わっていることが感じられます。

私が辻へ行った時間は朝7時過ぎで、ほとんどの店が営業していませんでした。ただ、中には営業している店があり、朝から50歳近いと思われるキャッチ(客引きの男性)が私に声をかけてきました。

男性は「お兄さん、60分15,000円で本番(セックス)ありだよ! 遊んでいきませんか? 朝でも、うちの店は女の子がたくさんいるよ」と話していました。

私は早朝からエッチをする気分ではなかったので、キャッチの話を聞き流していました。すると男性は「もし今お兄さんが遊んでいってくれるなら、60分12,000円にまけてあげるよ!」と、プレイ料金を値引きしてきました。

私は「上記の料金でセックスができるなら、非常に安い」と感じました。店に在籍している女性の写真を確認して可愛いようであれば、辻で朝からエッチを楽しむのは良いかもしれません。キャッチの話によると、「朝でも可愛い女性がたくさんいるよ!」とのことでした。

また、沖縄のキャッチは威圧感がなく、気さくな雰囲気がありました。私は上記のようにキャッチに声をかけられましたが、ボッタクリをされそうな印象はありませんでした。

私は辻をしばらく歩いていましたが、早朝から営業している店は2軒のみでした。

辻のソープ街には、ホテルも営業されていました。上のホテルは比較的新しく、ソープランドの店舗とは違った雰囲気が感じられました。辻で働く女性と男性客がこのホテルを訪れて、エッチを楽しんでいるのだと考えられます。

また、古い建物のホテルも見かけました。辻で夜遊びをする人は、そのままこのホテルで一夜を明かすことがあるのかもしれません。

なお、沖縄の名物料理にステーキがあります。かつて辻ではステーキハウスがたくさん営業されていましたが、現在は少なくなりました。ただ、中には営業されている店がありました。

上のステーキハウスは、現在でも営業を続けているようでした。おそらく辻のソープランドで遊ぶ前の男性客やプレイを終えた人が、このようなステーキハウスを利用するのだと考えられます。

ソープランドの外壁に、女性の求人広告が掲載されていました。沖縄では、貧困に陥る女性が比較的たくさんいます。このような女性がソープランドの求人広告を目にして、働くことがあるのでしょう。

辻では、さまざまなソープランドが建ち並んでいます。どの店で遊ぼうか迷ってしまうかもしれませんが、アルバム写真の見学は無料です。そのためまずは店舗に入り、プレイ料金と在籍するソープ嬢(ソープランドで働く女性)を確認してみましょう。

このように辻にはたくさんのソープランドが営業されており、都市部のソープ街とは異なる沖縄特有の雰囲気を感じることができます。そして、安く女性とエッチを楽しむことができます。

東京のソープ街として有名な「吉原」では、一般店で3~4万円が相場です。また、ソープランドではないものの、女性とセックスを楽しめる「ちょんの間」がたくさんある「大阪・飛田新地」は、20分で12,000円が相場です。

辻のソープランドは紹介したように60分のコースから利用することができ、15,000円ほどで女性とセックスをすることができます。また、私が訪れたように、交渉次第では値引きをしてくれる可能性もあります。この料金は、吉原や飛田新地に比べると格安です。

このように松山と辻は「沖縄の歓楽街」として、東京や大阪など、都市部の歓楽街とは違った雰囲気を感じました。松山や辻は地元の男性だけでなく観光で訪れた男性にも人気で、沖縄の女性とお酒や会話、エッチを楽しむことができます。興味が湧いたら、これらの街を訪れてみてください。

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